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『司法殺人と戦った正木ひろしの超闘伝⑤」全告白・八海事件の真相(中) 偽証を警察・検察から強要された

   

  

◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力悪)との戦い

に生涯をかけた正木ひろし弁護士の超闘伝⑤

 

全告白・八海事件の真相(中)ー死刑の恐怖

から偽証を警察・検察から強要された

<死刑冤罪事件はこうして生まれた>「サンデー毎日」

(1977年9月11日号)から

 

前坂 俊之(ジャーナリスト) 

 

幼稚な偽装工作にだまされた捜査陣

 

八海事件が起きたのは昭和二十六年一月二十四日夜、山口県熊毛群麻郷村(現田布施町)字八海で老夫婦が殺されたのである。敗戦の混乱が尾を引き、物騒な世相の当時としては、さして珍しくもない強盗殺人事件であった。
こんな単純な強盗殺人事件がなぜ十八年間ももつれ、七回も単独か五人共犯かをめぐって裁判をくり返したのか。裁判の経過やYの獄中ノートを参考にしながら追ってみると〝冤罪の構図がはっきりとしてくる。

 

真犯人のYは、被害者宅のごく近所に住んでいた。小さい時から片付けや掃除
を手伝っており、被害者宅の勝手をよく知っていた。借金の払いに困り、その被害者宅に盗みに入り、顔を見られたため、一瞬の恐怖から殺してしまったのである。Yはそれまでに四回の窃盗歴があった。手口はいずれの場合も、洒を飲み度胸をつけてから勝手を知った家に入るのである。八海事件もこの延長線なのだが、突如、殺人に発展した。


当初の目的はあくまで窃盗であり、現場付近には数多く、その証拠が残された。途中で思わぬ殺人にあわてふためき、幼稚でデタラメな偽装工作をした。混乱した支離滅裂な現場は、冷静にみれば、酔りばらいのむちゃくちゃな犯行とわからぬはずはない。ところが、捜査陣はYのこのデタラメなエ作にまんまとひっかかったのである。

 

多数の計画的犯行(?)と断定される

 

時の熊毛署・M捜査主任(後に山口県警刑事部長)の現場検証では-。

犯人は内部から戸締まりをして脱出、夫婦げんかに偽装している。
被害者宅に入る畑付近に素足、ぞうり、ゲタの三つの異なった足跡が残っていた。
納屋の前に大量の脱糞とマッチの燃えがら五、六本が落ちていた。
北裏口床下の羽目板が二枚はがれ、人間の掘ったこん跡が見受けられる。
2
被害者の夫は頭と顔に四カ所(実際は八ヵ所)の傷を受け、片手を火鉢に突っ込み、室内には火鉢の灰が散乱、タビの足跡が一つ残っていた。
玄関口の六畳間に百㍗の電灯がついたまま。四畳半との境のカモイにヒサさんが足をタタミにくの字に曲げてつけ、首をつっていた。
被害者夫人の両手両足には血が塗り付けてあり、その下に血のついた包丁一本、寝室とカモイの境に血のついた長オノがあった。
タタミは一度持ち上げられており、タンスの引出しやトビラも全部開けられたあとがあった。
以上の状況から「本件は夫婦げんかの末、夫が妻を殺し、自ら首をつって死んだように偽装した残忍な犯罪で、一人の犯行とは認められず、数人が共同して犯したものと認められる」-と、一挙に多数犯の計画的な強盗殺人と断定し
た。Yには誠に好都合な結論となったわけだ。こうして、警察の見込み捜査が八海事件を十八年間ももつれさせた発端になったのである。

 

(3)Yノートより、顔をみられて逆上!

 

「私は一月二十四日タ、新庄鮮魚店で焼酎二合をかり、午後七時半ごろ出ました。山名正夫(仮名)(一月十五日に酔って馬車に積んであった土の入った箱をひっくり返し、その謝りの酒代を借りた相手)に八百円ほどの借金があり、返済がのびのびになっており、私は近所で、金がたやすくとれる被害者方を思い出した。玄関のところから家の中を見ると、まだ夫婦は起きていた。ふろ場横の作業場にバールがあつたので、これはよいものがあったと手にした。被害者夫婦さんの寝入るまで私は大便をしたり、タバコを吸いながら外で待っていた。

表も裏もどの戸も閉めてあった。内便所横の窓をバールでこじあけて入った。土間と炊事場の板戸はしめてあり、板戸に小刀でノゾキアナをつけ寝入ったかどうか見た。電気が消えたので、もういいだろうと寝室に入ろうとすると『だれか』と被害者夫の大声がして、豆電気がともされた。


私は顔を見られたと知ると、逆上してしまい、土間にあったオノで二度、三度と殴りつけた。夫人はフトンの中にもぐり込んでガタガタふるえていたが、『強盗じゃ』と声を出したので、口をふさぎ、首をしめた。

タンスの中から千円札を五枚、百円札二十枚、十円札五、六十枚を取った。酒の酔いもー度にさめ、明日になるとバレると不安になってきた。どうしたらよいか考えているうち、殺人を自殺したかのように見せかける芝居を、いつか見たのを思い出した。


台所の階段付近に黒いヒモがあったので、夫人をカモイにつり下げようとしたが、死体が重すぎて切れた。今度はロープでやったが、体が重く何度かずり落ちて失敗。ロープを二重にして、死体をずり上げていくと何とか首つりの状態にできた。

夫人を夫が殺したように見せかけるため、血を夫人の手や足に塗りつけ、オノや包丁を手でにぎらせ、指紋をつけた。火鉢の灰を部屋にまき散らし、夫がまいたと見せるため左手を火鉢の中に突っ込んだ。中から戸締りをして、床下からはって表に出た」(Yノート1冊目要約)

 

焼酎を-升飲んでの犯行

 

Yは一升近く焼酎を飲んでの犯行だった。Yノートでも、犯行については大筋だけの記述しかない。細部についてはよく覚えておらず、警察での第一回調書で記憶しているかぎり、ありのままを述べたという。

Yは事件後間もない一月二十六日朝、柳井市の遊郭で逮捕された。
警察での第一回調書(二十六日)単独犯行二回目(紛失)三回日(二十八日)六人共犯四回目(同)六人共犯五回目(二月一日)五人共犯- とめまぐるしく変転した。その裏に何らかの強制か誘導が介在したのでは、と公判中に弁護側から何度も追及された。

「一人では不可能、多数による犯行」という警察の雰囲気の中で、ありのまま単独犯を述べたらどうなるか、Yノートからおおよその察しはつく。


「『お前は警察をバカにしているのか』と私のほおべたを二、三回殴った。私が『本当です』というと『こちらにはお前が一人だといっても、ちゃんとわかっているのだ。いわなければお前の体にきいてやる』と裏の道場に連れていった。刑事が私の手を前で両手錠にして、殴る、ける。そして、私を正座させ、足の下に警棒を四本くらい置き、その上に上がり、ドスンドスンと力を入れる」(Yノート二冊目)

二十八日にはI、M、H、二十九日には主犯にされたAが逮補された。
「『Aたちは一緒にやったと言っているぞ』と言った。私は何のことかさっぱりわからなかった。どぅしてそんなバカなことを言うのだろうと思った。しかし、M(捜査主任)たちは『いわんか』と片方の手を肩の上から背中に回し、もう一方の手を背中の下から回して〝鉄砲手錠をかけ、背中をなぐりつけた。そのため、手首が切れ、血が出た。『お前が一人でやったといえば死刑になるぞ』とおどした」(同)


「刑事が聞くままに『ハイ、ハイそうです』と答えた。Aたちに罪をきせ、死刑から逃れようとはこの時は考えもしなかった。ただ拷問の苦しさから逃れたい一心で、刑事の言うままに調子を合わせた」(同)


「そのうち、ウソを言っておれば甘い汁が吸えるという悪いことを覚えはじめた。うまい飯もたべられるし、タバコも吸わしてくれる。自分の無理も聞いてくれる。私の人間的な弱点をうまく利用された」(同)

 

検事の調書にも

 

傑作なのは、このデッチ上げのカラクリが検事(第一審)のY第五回調書(二月十五日付)に見事に記載されているのである。
『六人共犯』の場合は、「下田節夫」(仮名)という人物も加わっていたことになっているのだが、Yは、その内幕について、「下田という人はあまりよく知りません。警察で取調べを受ける際にも、私は下田とは被害者方で悪い事をしたことはないと言いました。しかし、警察の方から下田も一緒に悪い事をしたのではないかと聞かれるので、そんなことはないと思うが、あるいは私の考え違いで、そんなことがあったかもしれんと申しました」


当時の裁判の量刑なら、二人の強盗殺人はほぼ死刑はまぬがれないだろう。ウソの供述で拷問はひとまず収まったが、今度は死刑の恐怖がYの全身を貫いた。ウソの供述か死刑か。生か死かの絶対的な状況に追い込まれたことをひしひしと感じた。生きのびる道はウソをつくしかないのだ。


「Aらがかわいそうだという考えはなくなった。私は本当に鬼になった。人間としての考えや人の子としての血も涙もなかった。ただ刑事の言うようになっていれば、死刑から逃れられるかもしれない。Aらがかわいそうだと思ったら自分は助からない。真実を守ったら死刑だ。ウソがばれてももともとだ。おれには警察がついている」 (Yノート一三冊目)


以後、Yの警察と合作のウソはますますエスカレートする。侵人前にHはロープを探す、Mは口笛を吹く、Aからオノで順番に殴ることを決めたとか、身体に血がついたら石油かオキシフルでふけば、すぐ落ちるとAが話していたとか- 一見して架空とわかる児戯に等しい供述をせっせと述べた。死刑を逃れたい一心だったのである。


被告人は弁護士を自由に選択できる。しかし、裁判官を選ぶわけにはいかないのだ。Aたちにとっては、このことが「不運」になった。

 

                               つづく

 

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