前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『リーダーシップの日本近現代史』(112)/記事再録☆『政治家の信念とその責任のとり方』★『<男子の本懐>と叫んだ浜口雄幸首相は「財政再建、デフレ政策を推進して命が助かった者はいない。自分は死を覚悟してやるので、一緒に死んでくれないか」と井上準之助蔵相を説得した』

   

 

   日本リーダーパワー史(970)

政治家の信念とその責任のとり方

 

統計不正問題で揺れる国会で2月12日、安倍首相と立憲民主党会派の岡田克也元外相の間で久しぶりに激しい舌戦があった。安倍首相の「悪夢のような民主党政権だった」との発言に岡田氏はかみついて、「自民党の経済、原発政策の失敗に足を取られた。自民党にこそ責任がある。発言を撤回せよ」と詰め寄ったが、議論は平すれ違いに終わった。論争のあと、「ちっちゃな首相だ!」と岡田氏は吐き捨てた。

3月末の期限が迫る中で、相変わらずEUとの合意なき離脱問題でもめ続けている英国議会に対して、しびれを切らしたEUのトゥスク首脳会議常任議長(大統領に相当)は2月6日、英国の離脱推進派には「地獄に特等席が用意されている」と発言し、英国議会は猛反発した。

一方、トランプ大統領の言いたい放題、強圧的言動はやまずカベの建設を巡って「民主党はテロ、犯罪者、不法移民の擁護者だ」と攻撃はエスカレートし、ついに国家非常事態宣言を発してカベ建設予算の増額した。米議会の混乱はまだまだ続きそうだ。

このように、世界中で大統領、宰相らの過激発言によって、政治不信が高まり、政治家の責任が改めて問われる事態となっている。

今からちょうど90年前の1929年(昭和4)にニューヨーク株式市場の暴落に端を発した世界大恐慌がおこり、世界中が不況に見舞われた「悪夢の1930年代」を思い起こさせる。

この時の『ライオン宰相』浜口雄幸首相の政治力、決断力は日本憲政治史上、稀有のものであった。

1929年(昭和4)7月2日、中国張作霖爆殺事件の責任者の処分をめぐって処分が軽すぎると昭和天皇から叱責された田中義一首相(政友会)は責任をとって総辞職し、野党第一党の民政党の浜口内閣が誕生した。

浜口は外務大臣に幣原喜重郎(国際協調派)、大蔵大臣に井上準之助(貴族院、日銀総裁)を、海軍大臣に財部 彪(条約軍縮派)据えた。 政策として為替相場を安定させるための金解禁の実施、国民生活を犠牲にした英米との海軍力競争に追従すべきでないとの軍縮実現、行財政改革、綱紀粛正、官吏減俸(国家公務員の減俸)などを掲げて、翌昭和5年の総選挙では国民の圧倒的な支持を集めて絶対多数の273議席を獲得した。

浜口雄幸は土佐出身の「いごっそう」(快男児、頑固で気骨のある男)で無口寡黙正直一筋の不言実行のひと。板垣退助、吉田茂の宰相の流れの中間に位置する。東大法科卒で大蔵官僚となったが、大臣の予算を上げよとの上司の命令を拒否したため、地方へ飛ばされ左遷に次ぐ左遷となった。その間も英国タイムズの購読を続けて、世界経済を地道に勉強してきた。生来の無口訥弁も演説を猛練習して直した。節を曲げぬ剛直、清貧,知合一致の人格が後藤新平(内相、外相)に見込まれて、政治家に転出する。「政治は国民道徳の最高標準たるべし」を信念としていた。

浜口首相は大蔵大臣は井上しかできないと目をつけていた。「この内閣の最大の使命は財政整理だ。それには財政の専門家が要る、あなたしかいない。デフレ政策を推進して命が助かった者はいない。自分は死を覚悟してやるので、一緒に死んでくれないか」と誠心誠意、口説いた。

最初は断っていた井上もついに「そこまで自分を見込んでもらえるなら、私も命を投げ出しましょう」と引き受けた。浜口首相は実力本位の抜擢人事で派閥、根回しに頼らず、「唯一正道を歩まん」と反対を押さえて正面突破で政策を推進した。ところが、同年10月24日にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落、「暗黒の木曜日」がおこり、世界は大恐慌に突入し、日本も深刻な不況に落ち込んだ。

浜口内閣は着々と政策を実行し、翌昭和5年1月11日、金本位制(金解禁)に復帰した。4月にはロンドン軍縮会議で米英日3国での軍備制限条約を締結した。ところが、これに猛反対する海軍の艦隊派の加藤寛治軍令部長の統帥権干犯問題が発生、右翼が一斉に声を上げ、浜口内閣打倒に動き出した。

浜口は11月14日朝、東京駅で右翼暴漢からがモーゼル型拳銃で腹部を狙撃された。この時、「男子の本懐!」との有名な言葉を残した。銃弾が体内に残っていたため、三回もの大手術を行ったが、容態は回復せず、昭和6年1月、2月になっても衰弱が続いき、復帰できなかった。

政友会からは『総理が国会に来られない以上、政権を渡せ』と矢の催促。両党の対立が激化し、乱闘事件まで起きた。民政党は『必ず浜口は登壇する』と答えたが、浜口の容態は絶対安静でとても起きられる状態ではなかった。

城山三郎「逆境に生きる」(新潮社、2010年)によると、浜口首相は病床で「会期中に国会に出るという総理の約束は、国民に対する約束だ。自分は死んでもいいから国会に出る。邪魔しないでくれ」と医者、家族に決意を告げた。ところが、浜口は、靴を履くこともできず、靴が重くて、倒れてしまうほどの衰弱ぶり。靴なしで国会へは行けないので、家族で布を靴の形に切って墨を塗って、足につけるという前代未聞の悲壮な覚悟で登院した。

3月10日に開会中の衆議院本会議に出席してあいさつ、以後、連日出席して、鳩山一郎らの長い質問に答え続けた。

疲労困憊、衰弱は限界に達し、4月に再び入院手術したが、現職復帰は困難となり、同13日についに総辞職した。浜口はそれから5ヵ月後の8月26日に61歳で不帰の客となった。この2週間後に関東軍は満州事変を起した。昭和15年戦争の道を転落していった。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『Z世代への昭和史・国難突破力講⑱』★『アジア・太平洋戦争下」での唯一の新聞言論抵抗事件・毎日新聞の竹ヤリ事件の真相」★『極度の近視で徴兵検査で兵役免除になっていた37歳の新名丈夫記者は懲罰召集され、丸亀連隊へ』★『内務班の実態』

  名記者が自ら語る『竹槍事件』(「沈黙の提督、井上成美 真実を語る」 …

no image
『オンライン百歳学入門講座/天才老人になる方法①』★『中曽根康弘元首相が100歳の誕生日を迎えた』★『昭和の電気王(パナソニック創業者)の松下幸之助(94)の成功法『病弱だったことが成功の最大の要因です』★『 ルノアールの愛弟子の洋画家・梅原龍三郎(97)の遺書』

 『百歳学入門』を300回以上、一挙公開します。 「百歳学入門」×前坂 …

no image
日本リーダーパワー史(480)日本最強の参謀は誰か-「杉山茂丸」の交渉術⑥ 『世界の金融王モルガン顧問弁護士が絶賛』

   日本リーダーパワー史(480)   …

no image
日本リーダーパワー史(741)『だまされるなよ!安倍ロシア外交の行方』(対ロシア外交は完敗の歴史、その復習問題)●『ロシャに対しては、日本式な同情、理解で 仕事をしたら完全に失敗する。 ロシャは一を得て二を望み、二を得て三を望む国であり、 その飽くところを知らず、このようなものに実力を示さずして 協調することは彼らの思うままにやれと彼らの侵略に 同意するのと同じことだ」 (ロシア駐在日本公使・西徳二郎)』

  日本リーダーパワー史(741)『だまされるなよ!安倍ロシア外交の行 …

『Z世代のための百歳学入門(93)★『エジソン(84)の<天才長寿脳>の作り方①」★『発明発見・健康長寿・研究実験、仕事成功10ヵ条①』★『生涯の発明特許件数1000以上。死の前日まで勉強、研究、努力を続けた生涯現役研究者ナンバーワン』

  2014/07/16    2015 …

no image
日本風狂人伝(21)日本『バガボンド』チャンピオンー永井荷風と散歩しよう①

日本『バガボンド』チャンピオンー永井荷風と一緒に散歩しようね      …

no image
日本リーダーパワー史(213)<『坂の上の雲』の真実②>外交力・諜報力・IT技術力で、今後の日本再生に活かせ

日本リーダーパワー史(213)   <クイズ・『坂の上の雲』の真実とは …

no image
速報(129)『日本のメルトダウン』<座談会・フクシマの教訓④>エネルギデモクラシ―の確立、フクシマの教訓を徹底討論』(下の終)

  速報(129)『日本のメルトダウン』   <徹底座談会・ …

no image
昭和史ノンフィクション作家・保阪正康氏が「戦後70年 語る・問う」(2014.10.7)で記者会見動画(110分)

日本記者クラブのシリーズ「戦後70年 語る・問う」で 昭和史ノンフィクション作家 …

『オンライン講座/ウクライナ戦争と安倍外交失敗の研究 ➄』★『大丈夫か安倍ロシア外交の行方は!?』ー 『 日ロ解散説が浮上!安倍首相の描くシナリオ-「史上最長政権」を狙う首相の胸中は?』●『北方領土「2島先行返還」は日本にとって損か得か?』●『鈴木宗男氏「北方領土問題の解決にはトップの決断しかない」』●『鈴木宗男・元衆院議員の記者会見(全文1)北方領土問題、必ず応じてくれる』●『もっと知りたい北方領土(3) 料亭やビリヤード場も 東洋一の捕鯨場』

』 2016/10/03   日本リーダーパワー史(740) …