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日本リーダーパワー史(174)『侠客海軍将校・八代六郎―海軍の父・山本権兵衛をクビにした男』

   

 日本リーダーパワー史(174)
 
侠客海軍将校・八代六郎―
海軍の父・山本権兵衛をクビにした男』

                      前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 
日本の現在の政治は明治の薩長藩閥政治の延長線上にあり、依然として派閥政治を脱していない。明治の2大元老である伊藤博文、山県有朋が長州閥を形成し、山県は陸軍を完全に牛耳って山県閥を作り、軍閥政治を推し進めた。大正政変、憲政擁護運動によって山県の第一の子分の桂内閣は倒れる。
一方、海軍は「明治海軍の創設者・山本権兵衛」が完全に牛耳って、大正2年に第一次山本内閣を組閣したが、シーメンス事件によって足をすくわれて辞任に追い込まれた。
このあと、大隈重信内閣で海軍大臣に抜擢された八代は山本を予備役に回し、山本の取り巻きを一掃する大ナタを振るって、海軍を震撼させた。陸軍で山県閥を内部から戦って倒したものはいないが、海軍でこの人事を挙行することができたものは八代しかいなかったのである。
日本の明治から現在も続く官僚史の中でみて、いま、古賀という経産省の役人が首になって騒がれているが、これ以上にあの当時の大海軍にあっての八代の決断と勇気と実行力は傑出していると言える。海軍の快男子・八代については1冊の評伝もないので、ここに紹介する。

 
 
 
ウイキペディアによると、八代六郎は安政7年(1860)1月―昭和5年(1930)6月で70歳。愛知県犬山市出身の地主の3男。愛知英語学校を経て、海軍兵学校に入学した。海軍兵学寮の入学試験をうけるとき、こう豪語したという。

「おれは必ず入学してみせるが、もし不幸にして合格しなかったならば、新門辰五郎のところにいって、侠客になる」かれは少年時代から、好んで遊侠伝を読み、遊侠の徒が一獲千金、強きをくじき、弱きをたすけ、常に義を守ったその態度を愛していたが、仁と、節と、義とは、かれの生涯を通して、咲き続けた花であった。(松下芳男『近代日本軍人伝』(柏書房、1976年)
まさに任侠の海軍将校である。
 
明治14年、兵学校8期を35名中19位で卒業。明治20年に大尉へ昇進。9年間にわたり海軍参謀部に属した。この間にウラジオストックに2年間出張している。明治28年から31年までの3年間、ロシア公使館附武官を勤め、対ロシアの諜報活動に勤めた。この任期中に中佐へ昇進している。
 
八代六郎は秋山真之と共に宇都宮三郎のもとで甲州流軍学を学んだ仲である。真之が海大教官だった頃には聴講生としてその講義を受け、激しい口論になったこともあった。もともと秋山真之の教官であり、先輩後輩の間柄だが、それを超越して彼の力量や才能を非常に高く評価した。海軍では後輩の広瀬武夫との絆も深い。広瀬と秋山真之を結び付けたのも彼であり、真之の結婚の世話もしたという。
 
 
 これは艦長として遠洋航海に出た時のエピソードー
部下思いと豪胆無比な性格。
 
艦は大洋の真ただ中を全速力で航行していた。と、舷側から「あっ、落ちた!」と叫ぶ声がした。ちょうど甲板を歩いていた八代艦長は、もう上衣を脱ぎながら「どこだっ!」と聞くと、「あれ、あそこであります」と指さす方を見ると、一人の水兵が波間に浮きつ沈みつしている。 艦長は服を脱ぎ終わると、あっという間に海上目がけて身を躍らせた。

彼は水泳の達人でもあった。「あっ艦長殿が海に飛び込まれた」というので、軍艦は速力を落とす。ポートはきりきりと降ろされた。その間に艦長は抜き手をきって泳ぎ出した。力泳また力泳、ようやくおぼれた水兵の所に泳ぎついて「おいっ、しっかりせい」と声を掛けたが、大分水を飲んでいるらしく、もう声さえ出なかった。

艦長は横から水兵の腕を持つと、片抜き手で悠々と艦へ向かって泳ぎ出した。

そこへ掛け声勇ましくポートがこぎ寄せられた。艦長はまず水兵を助け上げさせ、自分は後からゆっくり上がってきた。
 
 ポートに寝かされた水兵は多量の水を吐いて、しばらく人事不省であった。軍艦につり上げられた頃、やっとわれに返ったようであったが、まだ眼は見えないらしい。軍医がきて手当てをして、やっと人心地がついたようなので、友達の水兵が1おい、貴様を助けて下さったのは艦長殿だぞ。艦長殿が海に飛び込んで貴様を助けて下さったのだぞ」といって聞かせると、彼は寝たまま挙手の礼をして「ほっ、そうでありますか。艦長殿申しわけありません」と、低いながら強い声でお礼をいった。

艦長はそれを軽く受けて「まあいい、まあいい、貴様のお陰で、久しぶりに泳いだぞ。いい心持ちじゃった」「はっ、相済みません」と水兵がまた手をあげようとすると「以後気をつけろよ。鱶(ふか)にでも食われたらふかばれないぞという冗談に、並みいる士官水兵達はみな笑った。おぼれた水兵も、もう笑っていた。


日露戦争までの間に「八島」副長、「宮古」艦長、「和泉」艦長などを歴任し、日露戦争では[浅間]艦長として活躍した。
 
広瀬武夫の旅順閉塞隊の出発を見送る際、八代は浅間艦橋に立って短笛で送別の曲を吹奏した。広瀬は「期して成功せん、成るらずんば七回起生して任務を見ん」との信号を発してこれに応えたという。
 
仁川沖海戦の前夜、艦長室で部下の気持ちを和らげるために得意の尺八で『千鳥の曲』を吹奏して一躍有名になり、「風流艦長」『尺八艦長」といわれた。これを聞いた本人は「おれは軍人で、風流人じゃない。風流艦長などといわれるのは、おもしろくない。もうこれから尺八をやめる」といって、それ以来尺八をやめてしまった。


日本海海戦で、浅間は艦尾に敵の十二インチ砲弾を三発もうけ、浸水のために後部が、一時沈下しかけたけれども、なんとか応急修理して、艦隊に追随して戦った。
のちに参謀少佐森山慶三郎が、「あのときは実に悲壮だった」というと、八代は平然として、「おれは後ろを見なかったから知らんよ」と、ケロリとしていた。

日露戦争後は明治40年に少将へ昇進。第一艦隊、第2艦隊歴任、明治44年に中将に、海軍大学校長、この時に秋山真之を(軍令部第1班長、兼任教官)として呼んだ。大正2年に舞鶴鎮守府長官となり、終わりと思われていた。

この時、海軍を震撼させる1大事件が起こった。
 
大正3年1月下旬、議会の最中に、シーメンス事件が起きたのだ。ドイツのシーメンス・シュッケルト会社から、わが海軍の高級武官が収賄したことが暴露したのである。時の内閣総理大臣は海軍大将山本権兵衛、海軍大臣は海軍大将斎藤実、海軍次官は財部彪で、いわゆる「薩の海軍」の大巨頭であった。三人とも、この問題には、なんの関係もなかったが、海軍当局の責任として辞職した。

この山本内閣に代わって立ったのが、大隈重信内閣であって、その海軍大臣に就任したのが、舞鶴鎮守府司令長官海軍中将八代六郎である。八代は海軍の名誉のために、海軍の廓清を期して、山本、斎藤を予備役に追いこみ、財部を海軍将官会議議員の閑職に左遷した。

海軍の最高峰、「海軍育ての親」『海軍の父』の山本をクビにしたことは、海軍に大激震が走った。八代以外には絶対にできない大英断といわれた。これによって部内外のかれに対する賞賛はあらしのように起こり、海軍の信用は一挙に回復した。

大正四年三月の総選挙で、内務大臣大浦兼武の選挙干渉が問題になり、大浦が辞職したとき、かれも連帯責任というたてまえから、外務大臣加藤高明と行動をともにして、八月に辞職したことは立派な態度であった。辞職後待命となったが、同年十二月復職して、第二艦隊司令長官、ついで佐世保鎮守府司令長官になり、五年には男爵を授けられ、七年七月大将に昇り、十二月軍事参議官、八年十一月に待命となり、これで軍職が終わった。十四年枢密顧問官に任ぜられた。武人らしい立派な一生であった。
(松下芳男『近代日本軍人伝』(柏書房、1976年)

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