前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日露300年戦争(5)『露寇(ろこう)事件とは何か』★『第2次訪日使節・レザノフは「日本は武力をもっての開国する以外に手段はない」と皇帝に上奏、部下に攻撃を命じた』

      2017/11/21

 

結局、幕府側の交渉役の土井利厚生https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BA%95%E5%88%A9%E5%8E%9A

は儒家・林述斎に相談し、「ロシアとの通商は『祖国の法』によって不可能である」との結論から「腹の立つような乱暴な応接をすればロシアは怒って二度と来なくなるだろう。

もしもロシアがそれを理由に武力を行使しても日本の武士はいささかも後れはとらない」との態度をとった。

レザノフは当初は長崎周辺の海上で待たされ、出島付近の幕府の滞在所への上陸が認められたのは約2か月後で、そこでも自由な出歩きを制限され半年間も待ちぼうけを食わされた。

レザノフの要求した船の修理や食料も提供も不十分のまま一方的に通商の拒絶を通告されたのである。

これにはレザノフはカンカンに怒り「日本は武力をもっての開国する以外に手段はない」と帰国後、皇帝に上奏した。

 ところで、当時の幕府の交渉の内幕をみると、最初のラグスマンの要求に対しては、長崎以外での貿易を禁じていたが、長崎での貿易は許容する用意があった。

時の老中松平定信も、ロシアの軍備とわが国の実力を比較し、開港の免れ難いのを悟り、長崎で交易を許すことに決め、テグスマンにもその内諾を与えていた。

ところが、レザノフ来朝当時、日本沿岸への度重なる外国船の来航、事件から「異国船打ち払い令」https://kotobank.jp/word/%E7%95%B0%E5%9B%BD%E8%88%B9%E6%89%93%E6%89%95%E4%BB%A4-30343

の強化に傾いており、長い論争の末に、拒絶を決めたのである。

帰国の途についたレザノフは帰途に就いたが、日本西海岸を北上、宗谷に向い、転じて樺太に至り、五月二十五日アニワ湾サロンバイhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%9C%E5%BA%AD%E6%B9%BEhttp://hakodate-russia.com/main/letter/21-02.html

 に停泊。

この場所は 1853年4月11日にロシア皇帝のサハリン占領命令が下し、サハリンにおける日本人の拠点であるクシュンコタン(現在のコルサコフ)のすぐそばにムラヴィヨフ哨所を築いたところである。

ロシア人にとって島での最初の拠点となった。

レバノフは同島に上陸調査したあと、ペトロパウロウスグ港https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%84%E3%82%AD%E3%83%BC

に帰着した。

ここで、当同港に来ていた露米会社の部下の海軍士官のニコライ・フヴォストフとダヴィノアの二人に、日本に対する示威運動と報復を命令した。

1806年(文化3)4月にはフヴォストフらは樺太の松前藩の居留地、択捉島駐留の幕府軍を攻撃した。択捉島の番人の中川五郎治https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E4%BA%94%E9%83%8E%E6%B2%BB

ら2人が拉致し、シベリアへ連行した。

続いて同年10月、樺太で松前藩の出先機関として運上屋(交易場の経営拠点)が襲撃され、交易の拠点で北前船も寄港していた久春古丹(クシュンコタン)もロシア兵50数名が上陸し銃で攻撃してアイヌ元住民や運上屋の番人らを拉致、米六百俵と雑貨を略奪し家屋、魚船を放火破壊し、4人を拉致しカムチャッカに抑留した

1807年(文化4年)423、再びフヴォストフらのロシア船二隻が択捉島の西の内保湾に入港した。箱館奉行配下の役人・関谷茂八郎は兵を率いて内保まで海路で向かったが間に合わず、内保の南部藩番屋が襲撃され、番人5人が連れ去られた。

続いて429日、ロシア船が今度は択捉島の紗那に入港した。

箱館奉行配下の通訳・川口陽介に白旗を掲げてロシア兵を迎え入れようとしたが、ロシア兵は上陸後に銃撃、川口は負傷し、津軽・南部藩兵との間で銃撃戦となり、日本側は苦戦。夕刻にロシア本船から艦砲射撃されて日本側は敗退する。火器に圧倒的な差があった。

 

同島の情勢調査に駆けつけていた幕府隠密の間宮林蔵らは徹底抗戦を主張したが、幕府側の指揮官の戸田又太夫、関谷茂八郎は紗那を捨て撤退した。戸田は、留別へ向けて撤退中の野営陣地で敗北の責任を取って自害した。 

51日、日本側が引き揚げた紗那幕府会所にロシア兵が上陸。倉庫から米、酒、雑貨、武器、金屏風などを略奪、放火する。

さらに6月にかけても礼文・利尻周辺の日本船の襲撃、拿捕、焼打のほか利尻島にも上陸しそれぞれで略奪・拉致の事件が相次いだが、これら一連の襲撃は「文化露寇」「フヴォストフ事件」と呼ばれている。

1807年(文化4)、危機感を強めた幕府は箱館奉行を改称して松前奉行を設けて、津軽、南部、庄内、久保田(秋田)の各藩から約3,000名の武士を増兵し宗谷や斜里などの蝦夷地(北海道ほか)の要所の警護にあたった。

こうした中、文化4年には斜里に駐屯していた津軽藩士70名が厳寒の越冬中に相次いで寒さなどで病死する「津軽藩士殉難事件」が起きている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E8%BB%BD%E8%97%A9%E5%A3%AB%E6%AE%89%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

こうした緊急事態に幕府は1806(文化)3年1月26日、異国船打払令を廃止し、薪水給与令を発布していたが、ロシア船の度重なる襲撃に対しては幕府は翌文化4年11月、次のような霹船打払令を公布した。

 ⑴オロシャ船(ロシア)と見受ければ、厳重に打払い、近付いてくれば捕らえて、又は打捨てること

⑵万一難破船、漂着に紛れてきた船員等もその場にとどめ手当をすること

中でもオロシャの不時着の場合には、きびしく、油断なく対処すること

に決めた。

1807年3月にレザノフが病死し、1808年にロシア軍の暴挙を聞いた皇帝アレクサンドル1世が全軍撤収命令を下し、フヴォストフは処罰された。ロシア側の襲撃は収まったのである。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『世界漫遊/ヨーロッパ・パリ美術館ぶらり散歩』★『オルセー美術館編』★『オルセー美術館は終日延々と続く入場者の列。毎月第一日曜日は無料、ちなみに日本の美術館で無料は聞いたことがない』

  2015/05/18  『F国際ビジネスマンのワールド・ …

no image
日中朝鮮150年戦争史(49)-副島種臣外務卿(外相)の「明治初年外交実歴談」➀李鴻章との会談、台湾出兵、中国皇帝の謁見に成功、『談判をあまりに長く引き延ばすので、 脅してやろうとおもった』

 日中朝鮮150年戦争史(49) 副島種臣外務卿(外相)➀ 李鴻章との …

『オンライン/鎌倉ぶらぶら散歩』★『鎌倉八幡宮の蓮の花を見に行く』★『鎌倉材木座海岸に黄金色のサンセットを見に行く』★『鎌倉時代の面影が残る光明寺裏の内藤家墓地』のコースは楽しいよ

逗子市小坪/花の町をぶらり散歩(2020 /8/13pm1600 )-炎天下、ひ …

『国難逆転突破力を発揮した偉人の研究』★『勝海舟の国難突破力⑧『徳川幕府崩壊史を語る』―『2011年3月11日の福島原発事故と対比して国難リテラシーを養う』★『なに、明治維新の事は、おれと西郷隆盛と2人でやったのサ』                   

2011/07/07  日本リーダーパワー史(171)記事再録 &nb …

no image
速報(113)『日本のメルトダウン』『小沢一郎氏討論会-「震災は国民主導最大のチャンスーウォルフレンと対談』、小出裕章情報

速報(113)『日本のメルトダウン』 『小沢一郎氏公開討論会-「震災は国民主導最 …

no image
日本リーダーパワー史(311)この国家非常時に最強のトップリーダー、山本五十六の不決断と勇気のなさ、失敗から学ぶ①

日本リーダーパワー史(311)     【世界最速の超老人国 …

no image
速報(55)『日本のメルトダウン』ー仏アレバ日本法人社長が汚染水処理方法について語る(動画ビデオ)

速報(55)『日本のメルトダウン』 ●仏アレバ日本法人社長が汚染水処理方法につい …

no image
速報(382)『日本のメルトダウン』『動画座談会―中国ディ―プニュース中国軍の『対日戦争準備命令』の本気度(1/3)(2/3)(50分)

速報(382)『日本のメルトダウン』   ◎『動画座談会―中国ディ―プ …

no image
日本リーダーパワー史(588)史上最強の外交官・小村寿太郎ーその外交力の秘訣は1に胆、2に剛、3に堅実、「ただ誠の一字に尽きる」と述べている。

日本リーダーパワー史(588)  世界が尊敬した日本人(54) 史上最強の外交官 …

no image
★「セールスの革命・インサイドセールスがよくわかる動画』ー「セールスフォース・ドットコム」のプレゼン(16分間)

世界の最先端技術「見える化」チャンネル 「イーコマースフェア2019」(2/7、 …