<新聞史研究> 太平洋戦争と新聞の戦争責任を考えるー徳富蘇峰の戦後の反省の弁は・・
太平洋戦争と新聞の戦争責任を考える
<以下はJCJ12月集会> 2007,12,07 前坂俊之の講演レジメ です>
=戦争言論・メディアの統制と自己崩壊、今も昔も同じ=
①1931年(昭和6年)・・15年戦争の発端としての満州事変の重大性
・「満州事変(昭和6年=1931年9月勃発)前夜の状況」
・「新聞界は朝日、毎日がリード」「満蒙は日本の生命線」「満蒙で危機、反日排日、日貨ボイコット、万宝山事件、中村大尉事件」から石原莞爾らの関東軍の暴走、満州国の独立へ
・事変前は「軍縮を掲げた大阪朝日の高原編集局長の論説は的確に日本の転落を予見した」
・『満州事変の勃発』「関東軍の独走」「政府も追認」「朝日の社論の180度の転換、転向」「その背後に右翼の総本山黒竜会・内田良平の圧力、恫喝があった」その結果、「社論として満蒙の植民地、独立論を支持」「新聞は関東軍の自作自演の先制攻撃を支持、関東軍の謀略を暴かず」「東京裁判で満州事変の真相をはじめて知ったというのは間違い」「もし、満州事変勃発時に関東軍の謀略をしておれば、その事態は変わったであろうというifはありえない。」
・『日本のジャーナリズムの欠陥は真実へのこだわり、事実の追求力の弱さ、記録する姿勢の欠如、検証力の不足にある。事件発生、速報の重視で、裁判の無視、ある程度時間を経て、もう一度真相に迫るとい態度が弱い。ニュース宅配便屋であってもニュース鑑定人ではない。
これはジャーナリズムだけではなく、日本の政治にも、日本人の思想にも共通した欠陥(日本病)。哲学の不在、あいまいさ、歴史忘却病、記録をしっかり残す態度の欠如という日本病であり、日本の人の国民性の欠陥である。
『満州国は今の中国東北部にそのまま歴史記念館として、そのまま保存されているが、日本では15年戦争の歴史記録さえ保存されていない、この民族性、国民性の差が今後も異文化コミュニケーション、歴史コミュニケーションギャップとして摩擦を生み続ける』『グローバリズムの中で日本が敗れる要因にもなる』
②1936年(昭和11)・・・2・26事件と国策通信社としての同盟通信の誕生
国家による言論統制のシンボルである「同盟」の誕生によって、軍部や政府の圧力のほか、国家通信社によるニュースの配信で、既存の新聞ははさみ打ちになった。ニュースの統制機関そのものであり、ばく大な交付金がニュース項目によって何を目的として報道すべきか、「助成交付金示達書」という命令書が大臣名で出されていた。
「同盟通信社」は政府から新聞界に打ち込まれた強力なクサビであり、地方紙と中央紙の間で同盟を利用し、新聞界を内部から切りくずしていく武器に使われた。また、内閣情報局(外務省、陸海軍の宣伝情報機関の合同)その後の情報局が、海外ニュースの一元化で同盟を管理監督し、メディアの言論統制を行なっていった。
③1938年(昭和13)・・・国家総動員法によって新聞は企業統合された。
国家総動員法に『言論の自由の制限』『発行停止権』があり、新聞界は驚く。
国家総動員法(昭和13年)では「一カ月二回以上、または引続き二回以上新聞紙の発売、頒布を禁止した場合、国家総動員のため必要ある時は、勅令によりその新聞の発行を停止することができる」(第22条)の項目あり。
新聞界はこの総動員法に驚いた。これは新聞への〝死刑宣告“に等しい。近衛首相、企画院に強力に申し入れ、この削除が認められ、新聞界はホッと胸をなでおろした。
政府は国歌総動員法の提出について「これは単に法案を作っただけで必要のない限り実施をさけたい」と「抜かざる伝家の宝刀」と弁明していた。総動員法には意外な落し穴が隠されていた。言論取り締り規制の項目ではなく、新聞が対岸の火事とみていた2つの規定にこそ新聞の企業統制の法的根拠が隠されていた。
・【第16条の3】政府は戦時に際し、国家総動員法上必要あるときは…事業の開始、委託、共同経営、譲渡廃止もしくは休止、法人の合併、解散の命令をなすことを得
・【第18条の2】政府は……同種もしくは異種の事業の事業主、その団体に対し、当該事業の統制または統制のためにする団体、または会社設立を命ずることを得・・
すぐ後の「新聞連盟」や「一県一紙」に追い込まれる新聞の統廃合のキーワードはここにあったが、新聞は第20条の「言論の自由」の方に目を奪われ、新聞の企業体、事業としての生殺与奪を握られるこの2点には全く気づかなかった。政府側から、この提案がなされた時は有無を言わさず自動的に統合が決まったのである。
④1941年(昭和16)・・・・大東亜戦争勃発と同時に言論統制の120%は完成
情報局は16年2月、新聞の国家管理を画策、新聞連盟から一県一紙と同時に全国紙を合同して1会社にする「全国一社」案を提出、朝日、毎日、読売は絶対反対、全国のブロック紙、地方紙はことごとく賛成した。古野伊之助同盟社長らはあらゆる手段を使ってこの「全国一社」案を通そうとしたが、朝毎読は猛反対しまぬがれる。42年2月、日本新聞会が設立された。昭和14年ごろには全国に3000以上あった日刊紙は情報局によって廃統合れ、1県1紙にむけて昭和16年には104社、18年には54社にまで整理統合された。
言論の自由を引き換えにした新聞統合は、全国の新聞の経営状態を大幅に向上させた。地方紙の中には用紙難、広告減から廃刊寸前のものが多かったが、大新聞の進出を阻止でき、一県一紙のカルテルによって守られた。県内紙の1本化のおかげで部数が一躍二、三倍に跳ね上がった新聞が少なくなく、経営は安定しわが世の春を謳歌した。
⑤現在のメディア状況はどうか・・・・・70年前とさしてかわらず、言論の自由の面と同時に
情報通信産業(新聞・テレビ・インターネット)としての企業、経営、営業面を規制され、締め上げられつつある。
有事法制、国民保護法、名誉毀損事件の判決賠償額の高額化、個人情報保護法、人権擁護法案、国民投票法案、放送法の改正、地上波デジタル放送の実施、NHKの改組問題、裁判員制度、コンテンツ法案などメディア規制法案が目白押し。世界のグローバル化、米国の暴走、中国の台頭、日本政治の保守化、思考停止、問題先送りで国家の自壊と迷走と漂流が続いている。
メディアの自己検閲、自己萎縮が進んでおり、この混迷に一層輪をかけている。
大日本言論報国会会長だった徳富蘇峰の反省の弁
以下は『なぜ日本は敗れたか』<徳富の『終戦日記Ⅳ』講談社版2007年7月より>
昭和20年(1945)8月15日―日本人は、なぜ今日のように、みじめな状態に陥ったかということを、研究しておく必要がある。①日本国運の興亡の正当なる智識を得るため
②将来、再び同じ間違いを起し、過ちを繰り返さないため。
③万一、日本が再興する場合があれば、この苦がい経験を、先人が遺したる大なる教訓とするためでー歴史の上に、間違ったことを書き残して置くことは、自国を誤まるばかりでなく、世界の総ての人類をも誤ることとなる (1947年1月6日の日記)
●=『なぜ日本は敗れたか』―15の原因は・・?=○
①東条英機ら軍人、近衛文麿ら政治家、指導者に人物が欠乏したこと。明治の指導者と比べても10分の1から百分の1以下の器、能力しかなかった。
②また米英中ソの首脳者、指導者とくらべてあまりに器が違いすぎた。
③<日本は東亜民族を指導する資格、能力がなかった>
わが大和民族が、東亜の盟主たる役割を果すには余りにお粗末で、東亜民族の指導者たる資格がなかったことを痛感する。台湾統治五十年、朝鮮統治四十年の歳月に疫病を駆逐し、産業を起こすなどでは幾つか成功したが、人については、一大失敗をした。朝鮮が、日本の手を離れる時に、朝鮮人の誰一人として涙を流す者はなかった。それが今度は、支那大陸よりアジア大陸、太平洋諸島の人心を収攬するなぞは始めから無理であった。
④<日本人の本質的欠陥→(今も同じ=異文化コミュニケーションの失敗、無理解)>
|
⑤<全体的大構想の欠如→(今も同じ=国家戦略の欠如)>
今度の戦争は、出合頭の出来事から、それが連続的に延長したという迄であって、初めから終りまで、なんら確固たる戦略もなければ、方策もなく、組織もなければ、統率もなく、烏合の衆を以て、終ったという他はない。緒戦だけの勝利が、やがては局部でも負け、全体でも負け、負け負け負けの連続で、ただその敗戦を、国民の眼中より隠蔽することだけに、成功したに過ぎなかった。
⑥<世界戦史上最愚劣な戦争・支那事変>
支那事変(日中戦争)は盧溝橋事件の1発から、ただ鹿の後を追っかけ追い廻わし、へトへトになった挙句が大東亜戦争となった。何のために戦うたか、なぜ戦うのか。国民自身も、誰れ一人これを知る者はなかった。当局者も、ただ支那人が抵抗するために、戦ったという以外に、大義名分はなく、いわば戦争をするために、戦争をしたという外なかった。
日本の兵站線が、釜山に始まり、鴨緑江を渡り、満洲を経て長城に入り、遂に支那を東西に横断し、大東亜聖戦の開始の際には、支那の国境を超えてベトナム、タイ、シンガポール、マレー半島まで拡大した。広き支那に、多き支那人を、追い回しても、十年はおろか、百年を経ても、支那が滅亡しないことは、その五千年の歴史が、これを証明している。
五年間、日本軍が支那内地を占領したが、一人の支那人も、心服させたことはない。ただ、国民党政府、蒋介石の政権を作り上げるために、御奉公をしたに過ぎなかった。
⑦<形式的、独善的な官学教育が日本を亡国にした>
|
⑦敗戦の禍機、盧溝橋事件、満州国と日本
⑧満洲対策に於ける予の宿論
⑨盧溝橋事件処理に軍は二の足、方針無し
⑩日独共通性の国民的欠陥
⑪日本の対中政策の二大失敗
⑫世界の大局に通じたる蒋介石
⑬暗中模索の対支政策
⑭日清日露戦争に比し軍の素質低下す
関連記事
-
-
『オンライン講座/勝海舟(75)のリーダーシップ論』★『勝海舟の健康・長寿・修行・鍛錬10ヵ条」』★『余裕、綽綽(しゃくしゃく)として、物事に執着せず、拘泥せず、円転・豁達(かったつ)の妙境に入りさえすれば、運動も食物もあったものではないのさ』★『学問に凝り固まっている今の人は、声ばかりは無暗に大きくて、胆玉(きもったま)の小さい。まさかの場合に役に立つものは殆んど稀だ。』
2015/01/01百歳学入門(92) 勝海舟(75)の健康・長寿・修行・鍛錬1 …
-
-
『オンライン講座/真珠湾攻撃から80年④』★『 国難突破法の研究④』★『ハワイ・真珠湾攻撃は山本五十六連合艦隊司令長官の発案だった⓵」★『海軍黒潮会の生き残り記者・萩原伯水(日経新聞のOB・当時88歳)が『政治記者OB会』(平成6年度総会)での講演録『山本五十六と米内光政―海軍裏面史―三国同盟に反対したが、滔々たる戦争の渦中へ』
2010/06/27 日本リーダー …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(311)★『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉞ 『自立』したのは『中国』か、小国「日本」か」<1889(明治22)4月6日の『申報』☆『日本は東洋の一小国で.その大きさは中国の省の1っほど。明治維新以後、過去の政府の腐敗を正し.西洋と通商し.西洋の制度で衣服から制度に至るまですべてを西洋化した。この日本のやり方を,笑う者はいても気にかける者はいなかった』
2014/08/11 /中国紙『申報』から …
-
-
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』⑪『英ノース・チャイナ・ヘラルド』/『日露開戦半年前ーさし迫る戦争 それを知る者より』●『日本の忍耐が限界に近づいていることは.1度ならず指摘している。満州撤兵の約束をロシアに守らせるというのは,イギリスやアメリカにとっては元のとれる仕事かどうかの問題に過ぎないが,日本にとっては死活問題なのだ。
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』⑪ 1903(明治36)年7 …
-
-
世界メルトダウン(1023)ー「トランプ大統領40日の暴走/暴言運転で『2017年、世界は大波乱となるのか」③『トランプ大統領対オバマ氏の怨念の非難合戦は一段とエスカレートしてきた。』★「悪役プロレスラーのパフォーマンスを政治ショー化して成功、『チャブ台』返し」
世界メルトダウン(1023)ー 「トランプ大統領40日の暴走/暴言運転で『20 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(198)ー『日本敗戦史』㊱『来年は太平洋戦争敗戦から75年目―『日本近代最大の知識人・徳富蘇峰(「百敗院泡沫頑蘇居士」)の語る『なぜ日本は敗れたのか・その原因』②―現在直面している『第二の敗戦』も同じパターン』
2014/12/03 /『ガラパゴス国家・ …
-
-
日本リーダーパワー史(652) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(45)日清戦争勝利、『三国干渉』後の川上操六の戦略➡『日英同盟締結に向けての情報収集に福島安正大佐をアジア、中近東、アフリカに1年半に及ぶ長期秘密偵察旅行に派遣した』
日本リーダーパワー史(652) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(45) …
-
-
日中北朝鮮150年戦争史(16)日清戦争の発端の1つ甲午農民戦争(東学党の乱)はなぜ起こったのか。『閔族一派専横の時代』の内政の腐敗、紊乱、貪官汚吏の収賄,苛斂誅求に対する百姓一揆だった。
日中北朝鮮150年戦争史(16) 日清戦争の発端ー日本最強の陸 …
-
-
『リーダーシップの日本世界近現代史』(301)★『日本には元々「情報戦略」という場合の「情報」(インテリジェンス)と『戦略(ストラジティ)』の概念はなかった』★『<明治の奇跡>が<昭和の亡国>に転落していく<戦略思想不在>の歴史を克服できなければ、明日の日本はない』
2017/12/01「戦略思想不在の歴史⑿」記事再録 「戦略思想から …
-
-
NHKスペシャル[坂の上の雲」を理解するためにー 水野広徳全集〈全8巻〉の刊行によせて〈平成7年7月>
水野広徳全集〈全8巻〉の刊行に〈平成7年7月> ・編集委員/静岡県 …
