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日本作家超人列伝(41)小林秀雄、開高健、尾崎紅葉、金子光晴、高村光太郎らのジョークの一束

   

日本作家超人列伝(41)
小林秀雄、開高健、尾崎紅葉、金子光晴、高村光太郎、菊池寛、
幸田露伴らのジョークの一束
前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 
中指のタコは指を噛んでできた文章推敲の後
 
【尾崎紅葉】<おざきこうよう(一八六七~二九〇三)>
『金色夜叉』を書いた文豪・尾崎紅葉は1字1句に心血を注いで書くタイプの尾崎は、筆が進まないと左手の中指の関節をかむクセがあり、そこにいつの間にかタコができ、太く節くれだった。
    
 原稿も書き直し、添削したうえに添削を重ねるといった調子で、紙の上に紙を張り、また張って、原稿用紙は態をなさず、印刷工泣かせだった。
 その尾崎の代表作『金色夜叉』では、原稿ができると壁にはりつけて、座ったり、立ったりして何度も読み直し、さらに添削を重ねて、容易に新聞社に渡さなかった。
 この『金色夜叉』も未完のまま、37歳の若さで胃ガンのためこの世を去った。遺言は
「残念だ。七度生まれかわって、文章のために尽くしたい」
 
 
清張の肉は美味だが梅原猛は食べたくないという食通家
 
【開高健】(かいこうたけし19301989
釣竿1本とペンと原稿用紙をぶらさげて、アマゾンからアラスカから世界中を釣り行脚している開高健。『最後の晩餐』という食通の極地のような本を出版するほど世界の味に精通している。
 その開高が、読者から「文豪の人肉なら誰れを食べますか」と開かれ、答えた。
 
「それは松本清張さんや。松本さんのちょっと突き出した下唇。これをシチューにするなり、煮こみにするなり、中国料理でいくならホンシャオ(紅焼・醤油煮こみ)にしたらさぞよかろうと、よだれが流れる。ニコチンの味がしみて、ホロ苦さもあって」
 
 なお、食べたくないのは梅原猛。あのくずれた大陰唇のような顔は食べたくないそうだ。念のため。
 
2つの小説を書きながら秘書に口述筆記させて3本同時進行
 
【片岡鉄兵】かたおかてっぺい(一八九四~一九四四)
 
 小説家で、新感覚派からプロレタリア文学に転向した。朝日新聞で『花嫁学校』を連載し大好評で、一躍売れっ子作家になった。片岡は文壇でも伝説になるほどの超人的な速筆。机の上に原稿用紙を別々に二つ並べ、同時に別々の小説を猛烈なズピードで書いた。
 そればかりでなく、秘書を机の横に座らせ、この秘書に書きながら口述筆記させ、二度に3本の小説を同時並行で書き進めたというからスゴイ。
 当然金はジャンジャン入る。片岡は酒を飲まないがハデに金を使うのが楽しみで、純文学の若手作家や女優も引きつれて赤坂の料亭などで豪遊した。
 
懲兵忌避をねらって息子を松葉いぶし
 
【金子光晴】かねこみつはる(一八九五~二九七五)
抵抗と反戦の詩人・金子光晴。昭和16年12月8日未明、真珠湾攻撃成功の大本営発表をラジオで聞いた金子は「バカヤロー」と大声で叫んで、フトンをかぶって寝てしまった。
そして、敗戦の日。昭和20年8月15日の玉音放送を聞いた時、蓄音機でセントルイス・ブルースをジャンジャンかけ、喜んで踊り狂った。
 
米軍の東京空襲が始まると、金子一家は山中湖畔に疎開した。「こんな戦争の犠牲になるのは真っ平。他の理由で死ぬならともかく」と引きこもった。
長男に召集令状がきた時、金子は長男を応接室に閉じ込めて、松葉でいぶしたり、リュックサックに本をいっぱい詰めて夜中に走らせたり、雨の中を裸にして1時間もたたせたりして、何とかゼンソクの発作を起こさせ、徴兵忌避させようと奇策を練った。
 
 
「うまいのはノド3寸」と食べては吐く岨しゃく人間
 
 
【菊池寛】(きくちひろし一八八八~一九四八)
 作家の菊池寛は時事新報時代に〝へそ〟というニックネームをつけられた。
 無頓着で不精だった。顔も洗わず風呂も入らない。顔を洗うにしても、水道の水を蛇口からとり、一、二度顔をこするだけで、手ぬぐいでふこうとしなかった。ひとりでに乾くのを待っていた。
 食べたものを吐くのも菊池の得意芸の一つ。なぜそんな汚いことをするのかーという問いに対しては、
「だって、うまいのはノド3寸だろう。それ以上なにも、消化力以上のものを胃に負担させて、病気の原因を後生大事にしておくことはないじゃないか」
        *
ある時、芥川龍之介がポルノを手に入れ、得意になって菊池に見せて値段を当てろと言った。菊池がわからないというと、芥川は150円だと悦に入って答えた。
 菊池は今東光にこうもらした。
「芥川はバカだよ。あんなものに150円も出すくらいなら、ほんものの女を150円で買った方がいいよ」
 
 
教師退職の理由は「長くしているとバカになる」
 
【幸田露伴】(こうだ ろはん 一八六七~「九四七)
 
 幸田露伴は将棋がメシより好きだった。大正5年に初段、11年に四段、死後六段が贈られたほど。将棋に負けると悔しくて眠れず、夜中に詰め手を考えついては大声で笑い、驚いた夫人が目を覚した。 翌朝、夫人は露伴に説教した。
「あなたは原稿を書くのにあんなに本気になっているのは見たことがありません。将棋に熱中して夜中に大声を出すなんてバカげてるじゃありませんか」露伴はしばらく将棋をやめた。
 
露伴は42歳で京大文学部講師になったが1年でやめた。「なぜやめたのですか」と友人が開くと、「学校の先生を長くしているとバカになってしまうからさ」これ以来、81歳で亡くなるまで筆一本でメシを食った。
 
千田是也に「ダイコーン」と痛烈なヤジ
 
【小林秀雄】(こばやしひでお 一九〇二~一九八三)
 
小林秀雄が文化勲章を受章した日。自宅のある鎌倉に帰り、彼は近くの飲み屋に夫人とともに立ち寄った。酔って千鳥足で入った。
 すると、そこに作家の中山義秀が飲んでいて、チラッと横目でみて、
「文士のくせに、文化勲章なんかぶら下げやがって…」
 と言うと、小林は目をむいて、
「テメエみたいな三文文士とは覚悟が違うんだッ」
 とけんかになった。
        *
 戦後の新劇史に残る名舞台といわれた『令嬢ジュリー』。三越劇場で開かれ千田是也がジャン、岩崎加根子のデビュー作である。
 千田が登場して、しばらくセリフをしゃべっていた時、客席から大きな声で「ダイコーン」とヤジが飛んだ。
 これが小林秀雄だった。
        *
 菊池寛と並ぶ文壇の大御所的存在だった久米正雄がある居酒屋で飲んでいて、
「こんなに飲んじゃ小説が書けない。明日の連載は会話でゴマかすか」
 としゃべったのを、居合わせた小林秀雄が開いた。
 小林は、
「なんだ、その態度は。それでも作家かい」
 とからみはじめ、一分のスキもない論理で久米をやっつけてしまった。
 黙って聞いていた久米は、そのうちそばにあったゾウキンで涙をふいたという。
        *
小林がある時、児玉誉士夫が戦時中に作った児玉機関の主要メンバーの1人、富田彦太郎と飲んだ。そのうち、いつものクセでからみはじめ、「お前たちはケチな人間だ」と遠慮せず、鋭い舌峰でやっつけてしまった。腹を立てた吉田は、「腕の一本ぐらいはもらう」と、小林の泊まっていたマンションにやってきた。小林はベッドで何も知らず寝息を立てている。
 青田はその寝顔をじっと見詰めて、結局、何もせず引き上げていった。
「まるで仏様のような顔をしている。ああいう男の腕はもらわないことにしたよ」
 
不倫の愛犬にコンコンと3時間のお説敢
 
【五味康祐】(ごみやすひろ(一九三一 - 一九八〇)
 
剣豪作家で有名だった五味康祐。戦後間もなく、五味と太宰治、横綱の男女川の3人が〝三鷹の三奇人″と呼ばれた。
 ある時、五味の愛犬が発情期で、近所の犬に愛情をふりまき、子供を作ってくることもあった。近所から抗議がきた。
 酔っぱらって帰宅した五味はその愛犬にコンコンと3時間ほど説教した。
「お前がそんなことをすると、飼主のオレがだらしないと非難されるではない藩。注意してくれないと困るぞ」
 愛犬はシッポをたれながら、
「ワンワン」とほえたとか……。
 
 
酔うとアメリカ兵にカミカゼ攻撃をして殴られる超インテリ
 
 
【小室直樹】(こむろなおき)
 
 評論家の小室直樹。社会学から政治、経済、数学まで幅広くおさめ、東大、阪大、ハーバード大まで学んだ学者で、独身で狭い電話もないアパートに住み、万年床で哲学にふけっているという変わり者でもある。
 小室は酔って、アメリカ兵を見かけるといつもやることがある。両手を拡げて飛行機の真似をして「カミカゼ、神風特別攻撃隊」と言っては、アメリカ兵に向かって体当たりをくらわせるのある。
たいていはぶん殴られて「カミカゼ」は墜落、道路上に大の字になって倒れるのは小室のほうだった。
 
野球のユニホーム姿を洗濯屋と間違われてガックリハチローの父、
   
【佐藤紅緑】(さとうこうろく、一八七四~一九四九)
 
佐藤紅緑は大正末期から昭和初期にかけて小説で活躍、『ああ玉杯に花うけて』『紅顔美談』『一直線』などを書いた。
 この紅緑が40歳ぐらいの時、野球をするのでユニホームを着ると、近所の子供から洗濯屋と間違われた。
 下手の物好きで、練習をしていてゴロが股間に当たり、悶絶して、グランドのつるべ井戸でキンタマのフタロの部分を冷やしていると、グランドの管理人から怒られた。
 これ以来、その井戸で水をくむときたないというウワサが立ち、誰れもくまなくなった。
 紅緑はこの話を聞いて一句詠んだ。
「キンタマにつるべとられてもらい水」
 
 
山小屋で7年間、戦争責任を自らに間いつづけた
 
【高村光太郎】たかむらこうたろう、1883-1956)
 
詩人・高村光太郎は太平洋戦争中、数々の戦争詩を書いた。「天皇あやうし。ただこの一語が私の一切を決定した」(『暗愚小伝』)からであった。
 敗戦。疎開先で〝玉音放送″を聞いた光太郎は、岩手県稗貫郡太田村の山地に引っ込み、営林署の飯場の山小屋に自らを閉じ込めた。
 電灯も水道もない。冬には積雪が1メートルを越え、板のスキ間から吹雪がようしゃなく吹き込んだ。
老体にムチ打って7年間、山小屋で自らを罰した。戦争責任を自らに問うた稀有の文学者であった。 

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