『1930年代のパリで恋と芸術と賛沢三昧に生き、600億円を使ったコスモポリタン・薩摩治郎八の豪華/絢爛なる生涯」(上)』★『15歳で男色小説『女臭』(300枚)執筆、レディゲ(堀口大学)と絶賛される』★『アラビアのローレンスに合う』★『ベルサイユ宮殿でピストル決闘』
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/10/24 /am700)
日本リーダーパワー史(36)記事再録再編集
前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)
1・・世界的プレイボーイの薩摩治郎八
「けた外れの大富豪で、パリで恋と芸術と賛沢三昧に生き、600億円を使い尽くした快男子」「国際的なプレイボーイで、一世の栄華を極めた男」「東洋のロックフェラー、貴公子」「パリの王者、遊蕩児」―とさまざまな異名がつけられた。 通称「バロン・サツマ」こと薩摩治郎八(一九〇一―・―九七六)である。第一次世界大戦後の一九二〇年代にパリに渡り、華やかな社交界に君臨し、恋愛と芸術、美のパトロン的存在として、今にすれば約六百億円もの巨額なカネを湯水のように散財した稀有の男。日本人には例のない二〇世紀を代表する国際的プレイボーイであり、芸術のパトロンであった。
その伝説的な人物・薩摩治郎八は一九〇一年(明治二十四)に東京で生まれた。祖父の初代治兵衛は極貧から身を起こした近江商人で、明治初年ごろ横浜の外国商館と木綿織物などを幅広く取引して一代で巨富を築き上げ、全国長者番付の十位ほどにランクされ『明治の綿業王』と呼ばれた実業家であった。
父・治郎平(二代目治兵衛)も、その後を継ぎ、事業を手広く行っていた実業家で、治郎八はその三代目に当たる。
『明治の綿業王』の3代目、遊興の人生に
治郎八が生まれた頃は、ちょうど祖父の全盛期にあたり、初代治兵衛は東京・神田駿河台に敷地一万数千坪もの大邸宅を建てた。フランス様式を取り入れた屋敷は「ヴィラ・モンキヤプリス」と名づけられた。100メートルの石垣に囲まれた大名門があり、中には鬱蒼たる老木が生い茂り、庭には大きなタヌキが住んでいた。
西洋館には日本で初めての避雷針が立てられ、完成記念には海軍軍楽隊を呼んでで、知名人、外国人らの賓客多数を招いて大舞踏会が催され、祖父はワルツを踊るというハイカラぶりだった。
母方の祖父もわが国の毛織物工業の創始者で、隅田川と神田川の交差するところに屋敷跡の大庭園を所有しており、ここには約四万平方メートルほどの池があり、東京湾が満潮時には海水にのってたくさんの魚が入ってきた。
幼いころの治郎八はこの池にボートを浮かべて『坊ちゃん、大きくなったら、何になる、大きな商船を集めるか』などと叔父に言われながら遊び、想いを世界に馳せた、という。地下にはフランスから直送されたボドレーのワインの樽がズラリと並び、治郎八は食事にはワインはつきものという贅沢とわがまま一杯のお坊ちゃんの幼少期を送っていた。
これだけではなく、別荘は京都・南禅寺付近や箱根、神奈川県・大磯にもあり、特に大磯の家は伊藤博文が母堂のために建てた「流水園清琴亭」を祖父が買い取ったものであった。
いわば、明治時代の有数の大富豪の息子として生まれたのである。治郎八が小学三年生の頃、祖父は他界したが、その葬儀は盛大を極め、世界各国の要人や知人からの花環が百以上も並び、子供心に強烈な印象を与えた。
一方、父の治郎平は祖父とは正反対の二代目的な性格で、事業には全く興味がなく、番頭にまかせっきりで、自分の趣味に没頭した。
庭園に熱帯植物やランの大温室を作って、西洋植物の栽培と洋書の収集に熱中たり、日本の古美術にものめり込んだ。祖父の時代とはガラリと家庭環境は変わってしまった。
こうした祖父の英雄的な血と世界に日を向けた冒険心、父親のロマン的な美と洗練の極致を求める探究心の二つのDNAを治郎八は引き継いだ。治郎八は学習院中等科に入学するための乃木院長の面接で「役者になりたい」と言って不合格になり、その後、入った別の中学校では顔面神経痛を病んで途中退学した。
●早熟で15歳で男色小説の「女臭」(300枚)を書いた。
当時、崇拝していた作家・水上滝太郎に見せた。水上はその内容に驚き、「君が二十五歳ならばいざしらず、どこにこれを発表しても、誰も君が書いたとは信じまい」と原稿をつっ返した。
尊敬していた水上の話にショックを受けた治郎八は原稿を焼き捨てた。これを聞いた詩人の堀口大学は「日本に生まれたかも知れない、ラディゲの芽をつぶしてしまった」と悔やんだ、という。小説を断念した治郎八は短歌や詩に向かい、歌集『銀糸集』や詩集『白銀の騎士』を自費出版した。(瀬戸内晴美著『ゆきてかえらぬ』文芸春秋社、昭和四十六年刊)
第一次世界大戦が終了した翌一九一九年(大正八)秋、十九歳の治郎八はロンドンに渡った。身長百六十九センチ、当時の日本人としては大柄な方で、ヨーロッパ人の中でも見劣りしない。甘くソフトなマスクは竹脇無我に似たハンサムボーイで、日本人で初めてハリウッドスターとして活躍した早川雪洲よりも美男子といわれた。ロンドンで早速、治郎八は仕立ておろしの洋服、黒の山高帽、金の把手のついた洋カサを持ったイギリス流の貴公子に変身した。
日本からは毎月一万円が生活費として治郎八に仕送りされた。当時、サラリーマンの月給といえば、わずか三十円ほどの時代。今に換算すると約三千万円に匹敵する大金である。これ以外にも臨時費用は無制限に送られ、カネは使いたい放題でいくらでもあった。オックスフォード大学に学んだが、美の探究と恋愛とロマンへの情熱が燃えさかっている治郎八にとって、そのうちギリシャ文学、演劇、ロシア舞踊に熱中してたちまち遊びのほうが本業となってしまった。
ダイムラーの自家用車に薩摩家の家紋である揚羽蝶をつけ、金の糸で刺繍した制帽をかぶらせた英国人のお抱え運転手に運転させ、ロンドンのボンドストリートなどに立ち並ぶ一流美術品店や劇場などを豪遊し、すぐに「東洋のロックフェラー」「東洋の貴公子」と評判になった。
特に、日英協会副会長・デーオージーが親切に英国の貴族社会の知名人を紹介してくれ,「シャロックホームズ」の作家・コナン・ドイルを始め芸術家にもたくさんの知り合い親友ができた。交遊関係は超一流でこうして芸術家からパリ、ロンドンの名士、知名人にも幅広く及んだ。
3・・アラビアのローレンスに合う
一九二二年(大正十一)五月未、治郎八はデーオージーからアラビアのローレンスを秘かに紹介された。第一次世界大戦が生んだ最大のロマンスの主人公といわれるアラビアのローレンスはジョージ五世の面前で勲章を拝辞し、陸軍大佐の位階も投げ捨てて、忽然と姿を消してしまっていた。
世界の目がローレンスに一斉に注がれており、会えればそれだけで大スクープであった。ローレンスは「蜃気楼を知っていますか」と静かに彼の砂漠での神秘的な体験や英雄的行為を語りかけた。感激した治郎八はフランスの外人部隊に身を投じて、アルジェでの戦いで負傷して除隊した後、芸術の都・パリへ引っ越した。
当時のパリ社交界では前田侯爵夫妻、一条侯爵夫妻、外交官の芦田均(後の首相)夫妻らが活躍していたが、特に前田夫人、芦田夫人らは絶世の美人で一目置かれていた。英国で磨きをかけた若き治郎八の出現は「東洋の貴公子」として一躍、話題をさらった。
パリには後に『エコール・ド・パリ』(パリ派)と呼ばれた藤田嗣治、ピカソ、モディリアニマティス、デュフィらの画家たちが多数集まっていた。すぐ藤田と親しくなった治郎八は、フジタから「僕の金持ちの従弟だよ」と仲間に紹介されるまでになる。
すでにパリ画壇で地位を固めていた藤田から友人の画家や音楽家、芸術家たちを次々に紹介され、ジャン・コクトー、レーモン・ラディゲ、海老原喜之助、岡鹿之助らとの交際の輪は次第に広がっていった。
音楽家では, 日本を訪れて「印度詩曲」を書いたモーリス・ドラージユと親しくなり、当時人気の作曲家グループややラヴェル、ジル・マルシェックスらの演奏家とも知り合い治郎八はその若きパトロンとなった。
治郎八のその巨大な財力と洗練されたスタイルは彼らを驚かせた。ヨーロッパの貴族のパトロンと同じように、金をポンと出して援助をしても口は出さない。「いい作品を作ってください」というだけで見返りなど一切求めず、真の意味のパトロンとの役割をはたした。ロンドンにイタリアからきて、生活に困っていた若き日本人テノール歌手の藤原義江のデビューにも資金を提供して応援した。
華やかな社交界では、そのダンディズムと有り余るカネで、当時,パリで一番といわれた美人女優のエドモンド・ギーと愛人関係になるかと思えば伯爵夫人、女優、モデルたちと次々にラブフェアーをくりひろげ、そうかと思えばモンパルナスなどのパリの下町をも好んだ治郎八は踊り子、娼婦らとも次々に甘美な情事にふけった。
パリ社交界の花形夫人のパーティーで、当時売り出しの画家マリー・ローランサンが可愛がっていた美人モデルと知り合い、最初の恋におちた。彼女はベルサイユ宮殿の奥庭が大好きで、かつてマリー・アントワネットら宮廷の美女たちが恋を語ったのと同じ場所で二人は愛し合った。
パリのトップデザイナーの店で開かれた『インド夜会』に二人で行った時、インド王族やパリ社交界のよりすぐった美男美女が列席しており、当時人気絶頂のオペラ女優と、この治郎八の恋人は二つの星のように輝き、彼女に結婚申込みが殺到する騒ぎとなった。
一方、最初の恋人との激しい恋が燃えさかっている間にも、治郎八はふと立ち寄ったモンマルトルの劇場で、美しい踊り子を見染めた。この踊り子はサラ・ベルナールが可愛がっていた女優のタマゴで、すでにある侯爵と関係があった。治郎八はこの情熱的な踊り子のとりことなり、すぐ二人はいい仲になったが、これを知って怒った侯爵から、決闘を申し込まれる羽目になった。
4・・ ベルサイユ宮殿でピストル決闘
決闘はベルサイユ宮殿に近い、この侯爵の庭園で行われた。ピストルを持ち、互いに背中合わせになった二人は合図とともに歩き、向き合って撃った。一瞬早く、治郎八が撃った弾が侯爵の右手に当たりピストルを落とし、治郎八が勝った。侯爵は彼女との婿約を解消した。
治郎八は南仏の海岸で彼女を待ち、二人はめくるめく愛に浸った。この事件が転機となり、治郎八はパリの生活がイヤになり、突然、タイ、ベトナムの密林に埋没された金鉱発掘の冒険旅行に旅立ってしまう。
こうしてとろけるような恋や冒険の数々のロマンスに身を焦がしていた治郎八に一九二三年(大正十二)九月、突然『帰国せよ』との一報が入った。関東大震災が発生し、実家も大きな被害が出ているとの連絡であった。
翌二四年末に治郎八は五年ぶりに帰国の途についた。幸い、帰国してみると、家業はビクともしていなかった。パリにすっかり浸った目から見ると、焼け跡の東京はみすぼらしく殺風景そのもので、治郎八の心を慰めるものは江戸の名ごりをとどめた座敷や相撲などしかなかった。
治郎八は生粋の日本人として、江戸の伝統美に生きたいと思い、洋服を脱ぎ、和服、白足袋、角帯姿に変えてすっかり若旦那になりすまし、柳町、浜町などの芸者と屋形船などを浮かべて、昔ながらの風情ある凝った遊びにふけった。しかし、きらびやかで華麗なパリの生活が忘れられない。
そんな時、治郎八はフランス政府やフランス芸術普及交換協会会長・ロベール・ブルッセルから現代フランス音楽の紹介を依頼された。当時、日本には,ドイツ古典派やロマン派の音楽は入っていたが、フランス音楽は未だ紹介されていなかった。治郎八は親友のピアニストのジル=マルシェックスを招待することになった。
ジル=マルシェックスは十八世紀の文豪デイドロの孫にあたるといわれ、フランスの代表的なピアノ奏者で作曲家、批評家としても活躍していた。
彼はモーリス・ラヴェル、ドラージュらの音楽家たちや画家のマティス,シャガール,デュフィ、海老原喜之助,福島慶子ら日本人の友人たちと交友関係が広く,治郎八との友人関係とも繋がっていた。実はジル=マルシェックス夫人のジャンヌは絶世のフランス美人で、治郎八の初恋の人でもあり、ジャンヌを喜ばせるためにこのコンサートは、すぐに決まったとも言われた。
芸術に理解のある父治兵衛がポンとカネを出して、治郎八がコーディネートして、一九二五年(大正十四)十月十日から六日間にわたり『ヨーロッパ近代音楽祭』が帝国ホテル演劇場で大正皇后も出席して開催された。入場のチケットは六日間で最高が三百円、一日では七十二円という破格の値段で、治郎八が執筆した一冊一円という驚くほどの豪華で贅沢なプログラム(五十一頁)がコンサートに花をそえた。
その後,この音楽際は大阪,京都、岡崎など全国各地を巡回したが、日本でも初めての本格的なヨーロッパ音楽の紹介で本邦初演奏という曲目が多く、音楽界に大きな影響を与えた。 (つづく)
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