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『リーダーシップの日本近現代史』(110)/記事再録☆『伊藤博文がロンドンに密航して、下関戦争(英国対長州藩との戦争)が始まることを聞いて、急きょ帰国して藩主に切腹覚悟で止めに入った決断と勇気が明治維新を起した』(上)

   

 

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2010/12/22執筆・日本リーダーパワー史(868)

初代総理伊藤博文⑦ロンドンで下関戦争を知り急きょ帰国

<このままでは『国が亡びるに相違ない』と止めに帰ってきた大英断>

前坂俊之(ジャーナリスト)

伊藤博文ほど自らの体験を気楽に国民に話した総理大臣はいない。

明治のあの時代に元老から憲政を擁護するため政友会総裁となり各地で政談演説会を開き、講演会も数多くやって、当時の雑誌にも数多く登場した。

これは1897年(明治30)3月20日に経済学協会で『書生の境遇』と題した講演録で、自らのイギリス密航や維新の志士として活躍して、鎖国論を打ち破って開国を成し遂げたかーをザックバランに語っている。

20代の若き伊藤のイギリス密行の経過を活き活きと語っており、「開国か、攘夷かーの論議」は当時は「開鎖の議論」といわれていたこと、強硬論、大声のいけ猛々(たけだけ)しい攘夷論の背景には、もし開国論を本当にする者があると、立ち所に暗殺されるテロを恐れて誰も開国論をいえなかったこと。

そうした声高の強硬派をどうやって鎮めたかーなどそのリーダーシップの手の内を平易に語っている。

この話を聞くと、混迷する現在の政治は150年前とちっとも変っていないとつくづく感じる。『開国か、攘夷か』の不毛な対立が、現在のFTA,TPP加入問題、移民、外国人労働者の受け入れ問題などでも延々と続いている。日本は鎖国から脱していないのだ。

民主党のごたごたをみるにつけ伊藤らが命をかけて切り開いていた日本の民主主義を、お前らはぶち壊して日本を鎖国の状態に引き戻すのかーそれは間違いなく『日本沈没』につながる。伊藤の生命をかけたとんぼ返りが日本を救ったのである。

伊藤博文の演説『わが書生(学生)の境遇』

4ヵ月かけてイギリスに渡航

それへ大きな方の井上(馨)と私が乗せられた、どう云う所に乗せられたかと云ふと、船に舳(へさき)がある、其舳先の側にちょいとした水夫の部屋がある。

東側にちょいと二段になって居る所がある。そこへ二人を押し込んだが、もとより我々を待遇する所には尋常の厠(トイレ)はなし。
用あるときは舳先の地の横に桁が出て居る、そこで皆厠の代りをすることであるが、激浪の時には身体、潮水に湿れて実に困り切った、それから後との三人は一週間余り遅れて外の船に乗った為に、なんでも中等の船客位の扱を受けて食事する時なども食堂に出て一緒に食はされたようである。
我々の方は船の乗込みの者が食うた後とでなければ食はせない、勿論、水夫と一緒には食わせなかったが、船乗りにでもなるものとでも思ったか、水夫からでも教へる積であったか、雨の降ったり、何うかすると水夫の手が足りないと、綱を引く手伝いなどを水夫と共にさせられた。
さうして朝寝でもして起きていかぬと、水夫が綱の先きを持ってピシャピシャ尻のあたりを打って、日本人起きろと云って来る、大変苦しんだこともある。それで当時はまだスエズの掘割(運河)を通るといふような訳にいかぬで、喜望雌を回って行くというような有様で、上海を出て以来ロンドンのドックに入るまでの間、どこへも着いたことがない。
ほとんど四ヵ月近くの歳月を海上で費した、それで土地に沿うて行ったかち喜望峰の土地も見えれば、彼のナポレオン一世の流されたセント、ヘレナの如きも皆目の前に見える、けれども寄れば日数も掛るし、入費も要ることであるから寄らぬ、ただすこぶる難儀をしたのは水である。
水は天水を取って居る、桶をならべて天水を取って居るのであるが、雨の降らぬ時は飲用水に困難をする。食物は何だと云ふと、乾からびたビスケットで、中にウジのわいて居るものと、それから樽詰の塩牛の角に切った、それを食ったり、一週間に一遍、豆の汁を吸うが最上の馳走である。
そこで乗組みの人や何かの話しに、英語を覚えなければちっともいかぬと云ふし、まだ其時分は二人は英語が分らぬから、この航海中に苦し紛れに堀辰之助の字引によって頻りに研究した。その為にロンドンに着いた時には多少、水をくれ、湯をくれというようなことは楽に言へるようになった。さて船はまもなくロンドンのドックに這入ると、向う4に運上所(入国管理事務所)の役人が居って、それが来て一切の荷物より小さな手回りのものなどを残らず調べる。
乗込入の方は一人も残らず上陸せしめた。そうして船は全く運上所の役人の保管となった。これは所謂禁制品などが隠しちやないかといふことを調べる為であったと思う。井上はその朝、船の炊夫と共に上陸した。

私は共時一人で残って居った。所が出て行ったのは宜いが、晩方になっても帰って来ない。追々、腹は減って来るし、茶を呑むことも飯を食うことも出来ない。

こちらを見れば運上所の役人が、きつと容儀を正して居るのみで誰も居らぬ。まさか運上所の役人に空腹を訴ふることも出来ず、困ったものだと思って居る中に、予ねて日本に来て居った英一の持船の船長が私を迎に来た。それから直ぐとタワー、オブ、ロンドンという所に行って、「アメリカン、スクエアー」に旅宿をした。ここはおもに船乗りの泊る場所である。
翌日其人が風呂屋へ案内して呉れて、ちっとは身なりも奇麗にしなければならぬからと云って、理髪店に連れて行かれ、仕立屋へも連れて行かれ、それから靴屋へも連れて行かれて、ようよう一人前になった。

まだこの時まではあちらに日本の書生といふものは居らなかった、我々が書生(学生)として行ったのが一番初であった。そこで英一の書記が其後「プロフエッショナル」などの所へ連れて行って、どうだいお前の所へこの日本人を預って世話をしては呉れぬかといふと、何分日本人は初めて見た位であるから様子が分らぬと云って段々受付けられぬ所もあった。

ロンドン大学の化学教授の世話になる

しかし、とうとう仕舞いにロンドン大学の化学専門の教授をしておるドクトル、ウィリアムソンという人の世話になることになった。井上と山尾は別にある画工の家に行くことになった。私はそこにおった所が、毎日のようによく世話をして呉れる。ウィリアムソンの妻君も能く世話をして呉れて、学校の先生だから朝に晩に来て教へて呉れる。
こうして日々、学校に行って、あるいは電気の世話をしたり、それから管を吹いたり色々のことをやる。その間に一方では算術を教へて呉れ、一方では言葉を教へて色々の物を書かせるけれども、なかなかタイムス新聞を読むといふ理屈にはいかぬ。
所が家内の中で新聞を読む者があって、お前日本はどこだといふから、長州だと言ふと、長州というのは下の関ではないか、下の関では外国船を砲撃した、そうすればお前の所だろうと言う、どんな事が書いてあるかと思って、井上(井上馨)にお前もう一遍能く読むが宜いと云ふと、これはなかなか容易ならぬ本当だ、「バアリヤメン」(野蛮人)でもどうしても征伐しなければならぬといふ議論があるという。

そこで熱々考へるに、ヨーロッパの形勢を見ると非常な開け方である、日曜の休みの時などにキエウガデンの天文台や、グリンニッツチの大砲製造所や、軍艦製造所とかいうような、大概、ロンドンのそういう大きなものは見せられた。

「きっと国が亡びるに相違ない』の危機感から

そこでこれはどうもこの文明の勢であるのに、長州などが攘夷を無謀にしようというのは以ての外だ、思いもよらぬ、これは此有様で打捨てて置くと、取り返しの出来ぬことが起る。きっと国が亡びるに相違ない。我々はかりにここで学問をして居って、業成るも自分の生国が亡びて何の為になるか。
これは我々の力を以て止め得るや否やは分らぬが、身命を賭けても止める手段をしなければならぬといふことに井上(馨)と私と二人が決心して、それから直ぐに山尾に鉄道、井上と遠藤の三人に向って貴様等三人は残って居って我々五人がヨーロッパに学問をしに来た志を継いで学業を遂ぐげるが宜いと、固く約束して私と井上は分れた。

然るにウィリアムソンはなかなか心配してやかましいことを言ふ、聞けば、もっとものように聞えるが、お前たちはまだ青年の身分であって国へ帰った所が何程の効果はない。詰りお前達は学問をするのが嫌やになって、そういふう口実を設けて帰るのだらうと言うけれども、そんな勧告でやめられるべき筋ではないと云って、断乎として帰ると言わなった。

そんなら仕方がないから帰るが宜いと云って、また船に乗せて貰って喜望峰を回って帰って来たから、思いの外に日数が掛って、上海に着いたのが子年であって、最早その頃にはちょっと話しは出来るから、段々様子を聞いて見ると、近日、馬関へ砲撃に行くらしい、そりゃお前達連も帰っても間に合わぬという話だ。

しかし、折角帰る積でここまで来たからどうでも帰ると云って、長崎には船が寄らないからその船で横浜に帰って来た所が、あに図らんや長州邸は焼かれ、長州人は東京の屋敷を追い払はれて、長州人と言へば、広き日本国中を歩くことも出来ぬといふ有様であった。

もちろん二人は帰途船中で頻りに談じて、帰ったらどうしようか、こうしようかと語り合って、先づ当時日本の識見家である佐久間象山、あれが信州に居るから、あすこへ行って一と面会をして我々の所見を談じようといふことに決して、横浜に帰って見れば、なかなか容易ならぬ形勢で、日本人が船から出たと云うような事が知れては一身が危険であるから、ハリソンと云う人が英一の関係から知って居るから、其人に頼んで西洋人の泊る宿屋があるから、そこに泊めてもらった。

そうした所がそれに通うに便が日本人であるから、ハリソンの言うには、どうもお前達日本人と云っては危ぶないから、ポルトガル人と言うのが宜かろう、そう云う事にしよう、併しポルトガルというたばかりではおかしいからなんとか名字を付けなければならぬと云って、私にデポナーと云う名を付けた。

つづく

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究 ,

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