前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

知的巨人の百歳学(126)『天才老人/禅の達人の鈴木大拙(95歳)の語録』➂★『平常心是道』『無事於心、無心於事』(心に無事で、事に無心なり)』★『すべきことに三昧になってその外は考えない。結果は死か、 生か、苦かわからんがすべき仕事をする。 これが人間の心構えの基本でなければならなぬ。』

   

 記事再録/百歳学入門(41) 『禅の達人の鈴木大拙(95歳)の語録』

 
 
平常心是道』『無事於心、無心於事』(心に無事で、事に無心なり)』              

<すべきことに三昧になってその外のことを考えるな。結果は死ぬるか、
生きるのか、苦しいのかわからんが、そういうことはどうでもよいので、すべき仕事をする。
これが何時でも人間の心構え、集団的生活の心構えの基本である。
非常時とか、平時とかの区別をしない>。
 
 
                  前坂 俊之(ジャーナリスト)


宗教家・鈴木大拙(1870~1966)は九十五歳という長寿で、まさしく大器晩成そのものである。
大拙は日本語よりも英語の著作が多い。ビアトリス夫人の協力で英文雑誌「イースタン・ブディスト」を創刊、二十年継続して、五十七歳のときに英語論文集『禅論文集第一』を­刊行、六十九歳でビアトリス夫人が亡くなると、同年に、『無心ということ』を出版。七十三歳で名著『禅の思想』を、翌年、七十四歳で『日本的霊性』を発表した。

国際的に大拙の名声はますます高まり、八十歳再びアメリカに渡り、これより八年間にわたってアメリカ各地の大学で禅を講義して回わり、仏教の世界的な権威となり、世界的な­禅ブームが起こした。              

大拙70歳すぎの、大東亜戦争中(1941―1945)のこと。憲兵隊の下士官が松ケ岡文庫を訪れて「この建物は山の中にあり空襲の危険は少ないし、非常に広い。憲兵隊将校の宿舎にするから明け渡してもらいたい」と命令した。

大拙が拒絶すると「日本国民でありながら、軍人に協力せんというのか」と怒鳴った。「わしは、日本はこの戦には勝てないと思う。この松ケ岡文庫は、日本が負けた後で.日本人が立ち直るためのよりどころとなるところです。断じて、明け渡すわけにはいかん」
大拙の気迫に押されて引き上げた。次にやってきた憲兵隊上官も同じく圧倒されてすごすごと、引き揚げたという。(志村武『鈴木大拙随聞記』昭和42年 NHK出版)
 
その大東亜戦争では軍国主義が吹き荒れて国民全員に死が強要された。『武士道を間違えて匹夫の勇としてしまった軍人たちの蛮勇と無知を著作ではっきりと指摘している。1944年(昭和十九)十二月に出版して名著『日本的霊性』の中で、「非常時」が叫ばれ、「国家のための死」がいたずらに神聖視される風潮を批判して次のように異を唱えている。
 
名著『日本的霊性』の中で
 
「近頃よく『死ぬる』ということをきく。『死にさへすればいいんだ』と、こういう風に思っているものが多いようである。前線にいる兵隊さんなども、ただ死ねばいいんだと、死ぬことの競争をするというようになっている傾向もあるということだ。それから銃後の人でも、年とった者はとにかくとして、純真な心の子供までが、やはりただ死ぬるということについて無闇な考えをもっていることがあるようである。
 
まだ国民学校をも出ないと思う子供等のうちさえ、敵が上陸でもしたら、どういうようにして自分達は死のうかしらというような、そういう話をさえ子供がしているということを聞いた。これは甚だしい間違いだと自分は言い切っておく。
 
 戦さに行けば、もちろん死ねることでもあるし、また死ぬるについて、彼れこれと躊躇すべきではあるまいが、これは消極的な考えである。
 それからここではまだ充分に我というものが取れていない。自分というものが出ている。宗教的な考えをもつ人ならば、そんな消極的な捨鉢的な考えには動かされぬ。何故、ただ死ぬるということを言わないで、自分のもっている任務、所作、仕事、職責など云うものを遂行するのが第一番だと考えないのだろう。
 
自分の任務を果たすということが何処へ行っても第一義に考えられなくてはならぬことでそれから出て来る死とかいうようなことは第二の事でそんなことに心を煩わすべきではないのである。
当面の仕事に対して全幅の精神を投込む。その仕事に成りきる三昧の境地に入る。無念・無心になる。それが一番大事なことで死のうが生きようがそういうことは、その場合においては問題でないのだ。
そういう風に考えてゆくのが非常時のみでなく、いつでも、われらの当然もつべき覚悟だと自分は信ずる。ただ死ぬ、死ぬというようなことばかりでは何にもならない。葉隠に『武士道とは死ぬことと見つけたり』というような言葉もあるし、また昔の武士は何んでも死を恐れないという風に覚悟を決めていたのであるが、事実は同
じことであって、心の持ちようは正しい方にもってほしいものである。
 
消極的な考えよりも積極的に自分の身の振り方を決等ゆくということは単に宗教的意味からでなく、一般の日常の倫理的心得としても大事であろう。非常時であるから死を怖れないとか、平和な時であるから死を恐れるとかというように、問題を死の上に注ぐことをしないで、平時でも、戦時でも、また常時でも、非常時でも、何んでも構わない。
 
すべきことはいつでもあるのであるから、そのすべきことに三昧になって、それに成りきってその外のことを考えない。結果は死ぬることになるかも知れず、生きることになるかも知れず、苦しいかも知れず、あるいはそうでないかも知れない。
そういうことはどうでもよいので、すべき仕事をする。これが何時でも人間の心構え、集団的生活をして居るわれらの心構えとして一般に妥当性をもつものである。非常時とか、平時とかというような区別をしないでよいのである。
 
禅者の言葉に『平常心是道』ということがある。
また『無事於心、無心於事』(心に無事で、事に無心なり)という言葉があるが、これでなくてはならんのだ。
 
ここには生死ということはないのである。何んでもすべきこと、そのことに成りきれば、無心である。無心であれば無事である、それが平常心である。そこに道がある。この道さえ踏んでゆければ、非常時には非常時であり、平時には平時である。何にも非常時だから、特にそういう覚悟をしなければならぬとか、非常時が済んでしまえば、非常時にもっておった心はすててよい、また平時のだらりとした心になるのだと云うことがあってはならぬ。
 
非常時もなく平時もなく何時も坦坦如として、又淡淡如として行くところ適わざるはなしということでなくてはならん。
それで始めてほんとうの安心が出るわけだ。これが『莫妄想』(まくもうそう)である」

「仕事こそ人生なり」「文筆三昧、研究三昧」の生活で、九十四歳まで現役で精力的に研究に没頭した。
「死を恐れるのは、やりたい仕事を持たないからだ。やりがいのある、興味ある仕事に没頭し続ければ死など考えているヒマがない。死が追ってくるより先へ先へと仕事を続けれ­ばよいのである……」
              

大拙の晩年の秘書は在米日本人二世の岡村美穂子。彼女は助手として大拙が鎌倉に建てた松ケ岡文庫に住み、最晩年の大拙の身の回りの世話をおこなった。

大拙が最晩年の日々を過ごした松ケ岡文庫は、北鎌倉の丘の上にあり、百五十段以上の石段を登らねばならない。その石段を日に何度となく昇降し、その飄然とした姿は、まるで雲の上を歩く仙人のようだったという。(『知的巨人たちの晩年』稲永和豊著 講談社 1997年刊)

この岡村美穂子が語る晩年の生活ぶりによると、毎朝六時半頃に起きて、夜は十二時か十二時半頃に就寝。その間、ほとんど執筆活動に専念。健康法は毎朝の冷水摩擦。それ以外­は決まった日課はなかったが、家の中で二階に上がったり降りたり、庭を歩きまわり、それがよい運動になっていた。

食事は、朝はパンとオートミールに紅茶。昼はおかゆと軽いおかず。夜食はなんでも食べ、肉料理や、中華料理も。量は腹八分目が基本。

鈴木の人生観は常に前向きであった。

「先生は九十になって前向きですからね。つねに新しいものの創造に心をそそがれていた。問題が起きても決してそれを恐れられない。真正­面から解決しようとする。決心実に早い。ちっとも年寄りぶられない。いつも新しいことに興味を示す。新聞や雑誌でいつも最近のことに関心を持つ。いまの若い人や外人の心理 -どういうことを考えるか、どういうことを知りたがるか。そこからどう説明し、どう理解させようかと、それでつねに頭がいっぱいなのです」と岡村は語る。              

「生きがいに没頭し続ければ死など考えているヒマがない。死が追ってくるより先へ先へと仕事を続ければよい……」

大拙の長寿と大器晩成の秘訣は、まさに、これであった。

 

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究, 湘南海山ぶらぶら日記

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本メルトダウン(950)『福島原発のアンダーコントロールは「うそ」-小泉元首相が特派員協会で原発批判』(動画)●『東日本大震災 福島第1原発 凍土壁2カ所、溶けた状態に』●『財政再建へ独立機関設置を、IMF、日本に提言』●『小池知事、報酬半減案を提出へ9月議会に』●『日本人アスリート初! 本田圭佑、マサチューセッツ工科大の特別研究員に就任』

   日本メルトダウン(950)   アンダーコントロールは「うそ」- …

no image
平田カヤッキスト(カメラマン)の『アメリカ・ヨット・ツーリング・スペシャル!>「1週間でカナダバン クーバー島北部を島巡り」④

  <『葉山海』の平田カヤッキスト(カメラマン)の 『アメリ …

no image
日本リーダーパワー史(844)ー『デービッド・アトキンソン氏の『新・観光立国論』を100年以上前にすでに唱えていた日本の総理大臣は誰だ!』『訪日客、2割増の1375万人=消費は初の2兆円超え-上半期』★『『外国人が心底うらやむ「最強観光資源」とは?日本は「最も稼げる武器」が宝の持ち腐れに』(アトキンソン氏)

日本リーダーパワー史(844)   ●観光庁は20日、訪日外国人旅行者が、今年1 …

no image
『昭和史キーワード』『昭和天皇史』ー群馬県内陸軍特別大演習の天皇行幸でおきた 天皇誤導事件<1934年(昭和9)>

『昭和史キーワード』 『昭和天皇史』ー群馬県内陸軍特別大演習の天皇行幸でおきた …

no image
日本リーダーパワー史(405)『安倍国難突破内閣は最強のリーダーシップを発揮せよ③『今後4ヵ月の短期国家戦略提言』

 日本リーダーパワー史(405) 『安倍国難突破内閣は最強のリーダーシ …

no image
鎌倉カヤック釣りバカ日記(8/29)逗子マリーナ沖でサバが 入れ食いに、本日もまた大漁なり

鎌倉カヤック釣りバカ日記(8/29) 8/29午前6時半、逗子マリーナ沖でサバが …

no image
池田龍夫のマスコミ時評(123)「戦後70年、「偏見のない首相談話」を期待」(5/11)

池田龍夫のマスコミ時評(123) 「戦後70年、「偏見のない首相談話」を期待」( …

『Z世代のための太平洋戦争講座』★『山本五十六、井上成美「反戦海軍大将コンビ」のインテリジェンスの欠落ー「米軍がレーダーを開発し、海軍の暗号を解読していたことを知らなかった」

太平洋海戦敗戦秘史ー山本五十六、井上成美「反戦大将コンビ」のインテリジェンスー「 …

『オンライン講座/今、日本に必要なのは有能な外交官、タフネゴシエーターである』★『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテリジェンス①>★『日露戦争開戦の『御前会議」の夜、伊藤博文は 腹心の金子堅太郎(農商相)を呼び、すぐ渡米し、 ルーズベルト大統領を味方につける工作を命じた。』★『ルーズベルト米大統領をいかに説得したかー 金子堅太郎の世界最強のインテジェンス(intelligence )』

    2017/07/24 記事再録 ★ 明治裏 …

『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座(42)』★『金子サムライ外交官は刀を持たず『舌先3寸のスピーチ、リベート決戦」に単身、米国に乗り込んだ』

  『金子サムライ外交官は『スピーチ、リベート決戦」に単身、渡米す。 …