日本リーダーパワー史(846)★記事再録『原敬の「観光立国論』-『観光政策の根本的誤解/『観光』の意味とは・『皇太子(昭和天皇)を欧州観光に旅立たせた原敬の見識と決断力』★『日本帝王学の要諦は ①可愛い子には旅をさせよ ②獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす ③昔の武士の子は元服(14、15歳)で武者修行に出した』
2017/09/24
日本リーダーパワー史(221)
<大宰相・原敬の観光立国論>
『観光政策の根本的誤解―『観光』の意味とは・・』
―皇太子(昭和天皇)を欧州観光に旅立たせ
た原敬の見識と決断力―
帝王学の要諦は
①可愛い子には旅をさせよ
②獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす
③昔の武士の子は元服(14、15歳)
で武者修行に出した。
前坂俊之(ジャーナリスト)
日本が2019年に「2500万人」の訪日外国人を目標にした『観光立国』を目指し、「観光庁」を設置したのは3年前の2008年10月1日である。
経済の長期低迷のなかで第一期目標として年間1500万人(2013年)の外国人観光客の誘致をめざし、特に中国人観光客の富裕層の誘致PRを自治体、国を挙げて取組んできた。
しかし、3/11の原発事故によって、観光客の来日は激減しており、原発事故の収束の長期化を考えれば、「観光立国」そのものに赤ランプが点滅している状況である。
今年は来日外国人をふやすために数万人に航空機代10万円ほどを出すバラマキ政策を検討しているとの報道を見た。
この政策の効果については疑問である。観光客は放射能汚染に対する恐怖から見合わせているのであって、この長期化を考えれば、誘致計画を根本的に見直さざるを得ない状況になるであろう。
もともと、日本では観光を『物見遊山』『温泉旅行』『買い物旅行』と誤解している向きが多い。本来の観光の意味、語源については、次のような話がある。
観光の真の語源は「国の光を観る」こと。
中国の戦国時代(BC403年-221年)といえば、今から二千数百年前だが、宋・斉・梁・陳という4つの王朝が江南地方を支配していた。南北朝時代の末期に隋は、この陳を滅ぼして天下統一を成し遂げた。その陳国の国王は属公といい、その王子が敬仲といった。ある時、周の都から、占い大臣が来たので、敬仲の将来を占ってもらうと、「国の光を観よ」と説いた。
その意味は、敬仲は他国を旅行して、いろいろな国の制度、文化、生活の光を観るがよい。そして、自国と比較検討して、他国のすぐれた制度、法律、文化、人と交際しソのいい面を採り入れ、自国の改革、政治、生活の向上を図り、善政を実施すれば、人心は敬仲の徳を慕い、国勢の興隆と天下の泰平は間違いない、とその大官が説いた。「国の光を観よ」である。
この言に従い、敬仲はただちに諸国を「観光」の旅にでて、いまでいう海外視察、調査の旅を続けた。そして、国王となり明君として徳政を施したと言われる。
つまり、他国の美点を観察し、研究をすることを、『観光』というのである。本来の「観光」の意味は、決して日本の昔からあった物見遊山、湯治、漫歩、温泉旅行、お伊勢参りなどとは違ったもので、奈良、平安時代の「遣隋使」「遣唐使」と同じく、国外留学、国外研究、海外視察の意味に近いのである。
歴代宰相の中ではベスト3には入る名宰相・原敬はこのことをよく理解していた。自らも外交官としてフランス公使館に長期駐在して、昭和天皇の皇太子時代には周囲の猛反対を押し切ってヨーロッパ旅行を実現した。本来の「観光立国」の実現である。
神格化されていた当時の天皇の海外旅行など想定外の時代である。
大正10年、原敬首相の時代に皇太子(昭和天皇)に欧州観光旅行を勧めて、断行した。前代未聞のこと。周囲は猛反対で、特に枢密院から強く反対が起った。当時、上海その他の地で、皇太子への不測の事態のリスク情報がピンピンと伝わってきて、万一の事があってはならぬと断固反対が沸き起こった。しかし、日本は国際連盟で[常任理事国]、新渡戸稲造が事務局次長{実質的な事務総長}をつとめており、将来元首となるべき皇太子はヨーロッパを知っておかねばならぬという帝王学の一環であった。
原首相は「万一、旅行中に、異変があれば、直ちに自匁して、罪を天下に謝す」の強い決意で密かに遺書を認めていた。幸いに皇太子が半年に及ぶ旅行を無事に帰国し横浜に入港せられた日、原は横浜港阜頭に出迎えて、感極まって、涙でハンカチを濡らしたのであった。
極東アジアのユーラシア大陸から遠く離れた島国日本は地理的・地政学的に島国根性・内向き・引きこもり・鎖国・閉鎖体質がすべての点で抜きがたくある.ガラパゴスジャパン体質である。
そうした中で、日本の文化・文明の発展に寄与したのは古代から中世に及んで、大陸中国・朝鮮・韓国から盛んに観光することによる、遣隋使、遣唐使、朝鮮からの文化の流入、混合によって、日本の独自文化は形成されていったのである。
明治維新もこの「観光」立国政策による産物である。吉田松陰の黒船への接触、高杉晋作の上海旅行、伊藤博文、井上馨のロンドン密航などの「観光」が明治発展の起爆剤となり、岩倉欧米使節団(大久保利通副使)という世界史に例のない「欧米観光」よって、「西洋文明」を導入し、『和洋折衷』により、「坂の上の雲」を目指し、20世紀の奇跡を生んだのである。
明治大正時代の国費留学生もこの延長線上にある。幕末から明治まで、真に観光の線に沿うて、強い志を抱いて旅立ち苦心惨憺した志士たちに感謝しなけらばならない。その志士たちこそ今日われわれが謳歌している「豊かで恵まれた日本社会」の生みの親なのである。
翻って現在の観光を見るとどうか。
観光の本来の意味をすっかり取違えている。観光が旗印の海外旅行、国内旅行も物見遊山、温泉、お寺まわり、遊行、遊宴、飲食旅行とハキ違えている。小中高校の修学旅行も同じではないのか。外国人観光にもこの日本的な宴会旅行、温泉、買い物ツアーののりなのである。
日本の大学生の海外留学数が中国、韓国、アジアの大学生と比べてもこのところ、激減していると聞くが、日本の観光政策の根本的誤解と同じ根に由来しているのである。文部省、教育関係者の怠慢である。
関連記事
-
-
<国難日本史ケーススタディー④>『日英同盟論を提言するー欧州戦争外交史を教訓に林董の外交論』②
<国難日本史ケーススタディー④> 林董(ただす)の外交論を読む② 『日英同盟論を …
-
-
『テレワーク、SNS,Youtubeで快楽生活術』★『鎌倉カヤック釣りバカ日記( 2018/4/29am6)-鎌倉海の大異変!キスにふられて、怪魚、珍魚、人でなしの爆笑3連発!』★『鎌倉バカ仙人の「材木座海中温泉」入浴の巻「いい塩湯かげんじゃよ!」』
鎌倉カヤック釣りバカ日記(2018 /4/29am6)-鎌倉海の異変!キスにふら …
-
-
速報「日本のメルトダウン」(491)小出裕章インタビュー:4号機の燃料取り出し作業の 危険性(動画)【電力事業者を飢えさせる小泉元首相」
速報「日本のメルトダウン」(491) ◎< …
-
-
『10年前の鎌倉海は豊穣の海、海水温上昇で、今は『死の海へ』★『オンライン10年前動画/鎌倉カヤックつりバカ日記』★『『すごいアタリ!、何度も突っ込み、大カワハギ27センチでした』★『ついにやったぜ、巨大ホウボウ50㎝をゲット』★『鎌倉カヤック釣りバカ日記(6/11)ーカワハギが釣れて、釣れて困るの巻よ③』
倉カヤックつりバカ日記ーついにやったぜ、巨大ホウボウ50㎝をゲット …
-
-
日本リーダーパワー史(612)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑦明治政府が直面した「日本の安全保障問題」対外的軍備を充実、ロシアの東方政策に対する防衛策、朝鮮、 中国問題が緊急課題になる>
日本リーダーパワー史(612) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑦ 『明治新 …
-
-
★『青い地球は誰のもの、青い地球は子どものもの、青い地球はみなのもの、人類のもの、地球の生物のもの、トランプのアメリカ、習近平の中国、安倍さんの日本のものではありません』
『青い地球は誰のもの、青い地球は子どものもの、 青い地球はみんなの …
-
-
★5<まとめ記事再録>『歴史の復習問題』/『世界史の中の日露戦争』-『英タイムズ』,『米ニューヨーク・タイムズ』は「日露戦争をどう報道したのか(連載1回―20回まで)①』★『緊迫化する米/北朝鮮の軍事的衝突はあるのか、日露戦争勃発直前の英米紙の報道と比較しながら検証する①』
★5<まとめ記事再録>『歴史の復習問題』/ 『世界史の中の日露戦争』 再録・日本 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代興亡史』(221)/★「北朝鮮行動学のルーツ(上)」-150年前の「第一回米朝戦争」ともいうべき 1866(慶応2)年9月、米商船「ジェネラル・シャーマン号」の焼き討ち事件(20人惨殺)の顛末を見ていく』★『そこには北朝鮮(韓国)のもつ『異文化理解不能症候群』が見て取れる。』
2016/03/11   …
-
-
『オンライン/75年目の終戦記念日/講座➄』★『太平洋戦争下の新聞メディアの戦争責任論』★『新聞も兵器なり』との信念を堅持して、報道報国のために挺身したすべて新聞』★『戦う新聞人、新聞社は兵器工場へ』★『●大本営発表(ウソと誇大発表の代名詞)以外は書けなくなった新聞の死んだ日』
2015/06/29 /終戦70年・日本敗戦史(101) …
-
-
日本メルトダウン脱出法(574)◎「アベノミクス持続の条件」(浜田宏一)●「アリババ」 創業者・馬雲の不屈を見抜いた孫正義の慧眼
日本メルトダウン脱出法(574)アベノミクスはいよいよ土壇場局面! …
