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<日中韓三国志・新聞資料編>『韓国併合』(1910年)を外国新聞はどう報道したか①』<『北朝鮮問題』を考える参考記事>

      2015/01/01

<日中韓三国志・新聞資料編>
 
『韓国併合』(1910年)を外国新聞はどう報道したか①』
<『北朝鮮金正日死去問題』を考える1つの歴史参考記事>
 
 
1910(明治43)年826日付
ロシア紙『ジュルナル・ド・サン・ベテルスブール』
            
 
『朝鮮併合について』
 
 このニュースはまだ公式には確認されていないものの,朝鮮の日本への併合は既成事実になっているように思われる。これが事実だとすれば,人類は,新しく豊かな国がまた1つ文明世界に加わることを喜ぶだけのことだ。
 
 フランスがアルザス=ロレーヌを失って以来.またとりわけボスニアとヘルツェゴビナがハブスプルグ王国に組み込まれて以来,「併合」という言葉はおぞましい意味を持ち,国家間の強盗と同義語になった。
だが,朝鮮を日本が掌握することにはこのような意味あいを持たせることはできず,むしろアルジェリアのフランスへの併合やイギリスによるエジプトの占領,カフカスあるいはヒヴァ汗国のロシア?の主権移行などがもたらした恩恵の記憶を喚起するものだ。
 
1904年から1905年にかけての戦争当時には、あらゆる意味において未開の国であり,絶え間ない混乱の温床であり,隣接国による畿争の対象であり,その結果,中日、露日の戦争の第1の原因ともなった。
 
朝鮮は,日本の保護統治下に入って以来,夢のような変化の道を歩んでいる。見る見るうちに,広大な鉄道網や電信電話網が敷かれた。公共建築物や工場が建ち並び,日増しに増え続けている子供たちは学校に通っている。農業も盛んになっている。輸出入は5年で3倍以上になった。財政は,輝かんばかりの状態にある。港は活気に清ちている。司法制度が改革され,裁判の手続もヨーロッパの裁判所に決して引けをとらない。
 
あ然とする世界の予想外に,満州の平原や旅順や対馬で発揮された日本の活力の魔法の杖のもたらす変革により,4,5年後には古い朝鮮の遺物は跡形もなくなっているだろう。文明とは平和主義の道における進歩のことであり,この観点に立てば,朝鮮の日本への併合は極東の繁栄と発展の新たな要素となるだろう。
 
 この併合を,最近の露日協定が保障する現状への侵害と見なすものはだれもいない。このような見方は底意があるものにはかならない。朝鮮の日本への併合はポーツマス会議以来の課題だった必然であり,ロシアとしてはこの既成事実をただ祝福するしかないし,それは,悪日の友好の庇護もとに,ロシアの東方貿易と太平洋のロシア沿岸の繁栄に強力に寄与してくれるだろう。
 
1910826日付 『ニューヨーク・タイムズ』
『日本と朝鮮』
 
今から2年以上前のことだが,日本の元首相の大隈伯爵が朝鮮の実情を次のように述べた。
「朝鮮の行政のすべての事柄と詳細に関して統監は『左へ』とか『右へ』とか言う権限を持っている。彼は,そのような命令をためらいなく実行する権限を持つっている。朝鮮は彼の手中にある。すべての行政機能,内政,財政,経済力の編成,運輸,通信,道路,橋,港,潅漑,水道,農業,工業-これらすべてはわが統監の指揮下に置かれている」
 
 言い換えれば,日本による朝鮮の形式上の「保護」は.実質は支配と領有だった。ついにその形式は実質に合うように変更され,朝鮮は日本帝国に併合され,独立の見かけを全て失った。朝鮮人や日本人にとって彼ら相互の関係に大きな違いはない。主な違いは他国政府との関係にある。
 
わが政府も含めて,これらの政府は,朝鮮政府との条約で凄得した権利の保護を今や日本政府に求めなければならない。世界の他の国々に関する限り,これが日本が併合に支払う代償だ。日本はもっと大きく明確な責任を担うことになる。
 
 併合という行為は,以前の統治のやり方と同棲.当然厳しく非難されるだろう。しかし!聖書にある鼻先に石を投げる資格を持つ政府を選ぶことは,きわめて難しいだろう。日本は,朝鮮を接収するにあたって,自分自身の利益は動機ではないというふりをほとんどしなかった。
そうした利益は,その防衛に2度の血なまぐさく金のかかる戦争を戦うだけの価値を持ち続けてきたのだ。エジプトにおけるイギリスの立場,マダカスカルにおけるフランスの立場,東アフリカにおけるドイツの立場,フィリピンにおける合衆国の立場も,朝鮮における日本の立場よりも明確に民主的な基盤の上に立っているわけではない。
 
そしてもし,朝鮮人の大きな部分,おそらく大多数の意向はこの王国の併合において無視されたということが.疑問の余地はないが,真実ならば.日本の回答は.わが東洋の属領の場合での合衆国の回答と全く同じになるだろう。3つの選択肢しかない。その結果として大混乱の発生が確かでも放棄するか,他の列強へ引き渡すか,支配を全うするか。日本は.合衆国と同様,3番目の道を選んだのだ。
 
 この決定に関連して2つの疑問が必然的に生じる。第1は,日本が支持する門戸開放の原則に関して,日本が朝鮮において採用する具体的政策だ。第2は,新しい状況が日本と他の外国列強との関係に及ぼす影響だ。第1の疑問に関しては,今まで実施されてきた関税率は当分の間継続されると言われている。
 
それは,日本の新しい関税で定められた税率を大幅に下向っている。しかし、その継続がしばらくの間でしかないことは確かだ。朝鮮は今後長期にわたり,日本の国庫の大きな負担となるだろう。
日本は,自国以外の他の国との貿易にかける税金で,それを埋め合わせざるを得ないだろう。その点において,門戸開放の原則に対する日本の真の忠実度が試されることになろう。
 
 第2の問題は.第1の疑問の答にある程度かかっている。特にイギリスに関してはそうだ。新しい関税はあの国の貿易に非常に重い負担をかけている。日本の主張は,最恵国待遇条項により,イギリスには,他の国々が日本商品に対する課税を譲歩することで確保し得る軽減を受ける資格がないというものだ。
 
イギリスは全く税を課していないので,譲歩のしょうがないのだ。
だがその最終的結果は,日本の同盟国の商品に対する関税率が,それほど友好的でない国の商品にかかる関税率より高くなるということだ。もしイギリスがこれを,対日同盟条約で表明された密接な友好関係を乱すほど深刻な不満の種であると見なしているなら.日本のロシアやドイツに対する態度,そして合衆国に対する態度でさえ,最も興味漂い問題の1つとなる。
 
もしイギリス貿易に,現在好調な朝鮮において負担がかけられれば,この不満が一層強まるのは明らかだろう。この間題は,イギリスの商業関係者の間で熱心に論じられており,保護主義者はもちろんこの機会を最大限に利用している。
 
 しかし政府は自重している。国際政給への配慮が密接に絡んでいる。対日同盟は公然とロシアに対する防衛措置として結ばれたものだ。英露関係は大きく改善され.同盟のこの動機は弱まっている。しかし,日本との深刻な対立が生じれば,イギリス政府は,結果として日露同盟が成立する可能性を検討する必要に迫られるだろう。
 
この場合.ドイツは「正直な仲介者」としてこの取引を見守り,合衆国はもっと離れた立
場から.しかし旨の届くところから等しく注意深く監視するだろう。したがって現在のところ,朝鮮の併合に対する予想される外国からの非難は,それほど恐るべきものではない。
 
 
エルヴィン・ベルツの『日本日記』(1910924日)
 
                                     
Iつの王国が墓穴へと運ばれた。歌もなく、鳴り物もなく、そうした出来事に付き物の戦乱や流血もなく。韓国、この生まれたばかりの大韓帝国(その支配者が皇帝の称号を帯びたのは、つい一八九七年のことである)は独立国家のリストから消え、日本の属領「朝鮮」として生き永らえることになった。
世の中でこれほど自然なことはないとでもいうように、静まり返った平和な空気のなかで、日本はこの国を合併、あるいは御用新聞の先取り記事の表現を用いれば「併合」した。1910年8月、日韓併合条約により国号を朝鮮と改め、朝鮮総督府を置いた。
 
中国との戦争(「八九四)の前も、ロシアとの戦争前も、日本は朝鮮の独立を守るために武力に訴えるのだと宣言していた。
その真意は、日本以外の国々からの独立ということである。人間のやることは洋の東西を問わず変わらない。外交という言葉が「二枚腰」を意味するのは理由のないことではない。ちなみに、周知のごとく単純な精神の持ち主のものとされる天国に外交官がなかなか入れないのは、そのためである。
 
異議をさしはさむ強国は1つもない。同盟関係にあるイギリスおよび旧敵ロシアとは、すでに話がついている。
ロシアは中国の肥えた尻尾をしゃぶって埋め合わせをつけるだろう。ほかに手立てもないドイツ、フランス、アメリカは渋々ながら承認した。少し前までなら、事態は違っていたはずである。
ドイツは1895年、ロシア、フランスと結託して圧力をかけ、恵が勝ち取った(三国干渉のことで)ポート・アーサー(旅順)を放棄させるまでの友好関係とはうって変わって燃えるような憎悪を日本人の胸に掻き立てた。その後何年か競いたドイツの拙劣な外交のせいで、憎しみは収まることがなかった。この不手際を疑う者には、山ほど証拠を示すことができる。
 
ドイツの三流地方紙などが日本をけなす言葉を一言でも載せようものなら、ロイター通信がそれを日本に打電し、反日的なドイツに痛棒を加えるべしというお定まりの記事が日本の新開という新聞を賑わすのは必定である。もっと影響力のある新聞の記事となれば、当然、騒ぎも大きくなる。
 
ところで実際のところ、朝鮮はわれわれに直接かかわる問題ではない。一方、自分たちは朝鮮に対して古くからの権利を有するという日本人の主張は、感情的なものから現実的、政治的なものまで、それなりの理由に事欠かない。政治において感情的な理由は論外などと言うなかれ。それどころか感情的な動機がはたす役割はきわめて大きいのだ。
 
フランスが武力でアルザスを奪ったことは数世紀にわたってドイツ人の心を苛んだ。ハイネはフランス人に向かってこう言っている。ドイツ人に気をつけろ。貴様らの王様の一人がコンラーディンの首をはねたことを奴等は忘れていないやと。そうした感情がどれほど婁な心理的要素であるか、1870年を体験した者ならば知っている。 普仏戦争の勝利によってドイツはアルザスを帝国領に編入した。
 
  
ともあれ日本側の主張によれば、紀元二〇〇年頃、神功皇后が朝鮮半島に遠征し、勝利を収めて国王に永代の朝貢を誓わせたという。この遠征は厳密な歴史的批判に耐える史実ではない。日本には当時まだ文字による記録は存在せず、中国と朝鮮の年代記はこのことについて何も記していない。しかし日本人は神功皇后の朝鮮遠征を信じ、それが彼らの立脚点の核をなしているのである。
 
事実、その後何世紀にもわたって朝鮮からの責物を届ける使節が来朝し、使節が途絶えた時には激しく抗議したという記録が残されている。この関係は、形式上は一八七六年まで断たれておらず、日本国内に絶え間なく戦乱が起こるようになった十二世紀以降は休眠状態にあったまでのことである。
 
前世紀の中頃、日本が長年にわたる鎖国を解いて開国し、天皇制の復活によって国内の諸問題を一応解決すると、旧来の朝鮮との国交を回復させようという声がたちまち沸き上がり、その方法をめぐって議論が起こった。
 
その声はけしてやむことなく、今日こうしてその目標を達成するに至ったのだ。朝鮮の国土に列強が地歩を占めることを阻止しょうという、まっとうな政治的理由があったことは間違いない。朝鮮と日本の間に位置する対馬からは、晴れた日には両国の海岸が望める。
 
立地条件に恵まれた朝鮮南部の港が敵の強力な艦隊の基地となれば、日本にとっては恒常的な脅威となる。かつてその可能性のある唯一の大国と考えられていた中国は、下関条約によって朝鮮半島への介入の芽を断たれた。
 
ところが小難去って大難来たる。中国に代わって今度はロシアの登場である。その結果は周知のごとし。おそらくヨーロッパの列強も、日本の立場であれば同じことをしたに違いない。一般的な前置きはこれくらいにしよう。
 
現在の朝鮮は絶望的なほど荒廃しきっている。
十六、十七世紀には外冠の侵略が猛威をふるった。最初に攻め入った日本が武力によって破壊し、焼き尽くして出ていった後で、今度は満州人が侵入し、わずかに残されたものまでも灰燈に帰した。白を覆うばかりの悪政に内紛、民の膏血を絞る無能な官僚層が国力の回復を妨げた。しかし昔はけしてそうではなかった。
 
中世全体を含む千年間というもの、朝鮮の文化は隆盛をきわめた。日本は文字の知識にはじまり、宗教、芸術、国家原理・哲学から民間の産業、文化にいたるまで朝鮮を介して受容したのである。朝鮮人がグーデンベルクの発明より五〇年も早く金属活字を手に入れ、朝鮮の海軍提督が1591年に亀甲艦を建造し、日本の三艦隊を壊滅させて東アジアの歴史に大きな影響を及ぼしたことを考えると、朝鮮の人々に尊敬の念を抱かずにはいられない。
 
さらに当時の朝鮮人は、すぐれた技術者でもあったようだ。彼らは爆裂弾を発明し、中国からの援軍を呼び込むために、12万の軽重隊が楽々と渡れる吊り橋を鴨緑江にかけた。同じ場所の架橋に、ちょうど今、日本人は進んだ技術を駆使しながら多くの時間と資金を費やしている。かつての奇蹟的な架橋については、それがいかに短期間に行なわれたかを
示す詳細な記録も残っている。
 
さて、今われわれが目にするのは大韓帝国ではなく、朝鮮という属領である。これは日本人が新しい領土のために考え出した呼称ではなく、神話に包まれた朝鮮の始祖が三〇〇〇年ほど前につけた名である(ドイツ語のKoreaは、後代の国名Kooraiによる)。この半ば伝説的な始祖は箕子(キジエ)と呼ばれ、国家創設は紀元前二二二年とされる。箕子は中国の王子で、親族である殷王朝最後の王に高官として仕えていた。
 
王は、美しくも残忍な王妃の影響下に暴虐の限りを尽くした。と箕子二人の忠臣は王の無道を諌めたが投獄され、忠臣二人は拷問の果てに殺された。しかし王の暴虐による悲鳴は天にまで響き渡った。
天は虐げられた民衆の声を聞き届け、王に抗すべく一人の将軍を目覚めさせた。将軍は立ち上がり、激戦の末に王を打ち破る。王は宮殿に逃げこみ、火を放ち、邪悪な后と焼身自殺を遂げた。勝利を収めた将軍は王位につき、武王と名乗った。かの有名な周王朝の創設者である。
 
以来九〇〇年、周王朝は中国を支配する。武王はきっそく箕子を解放し、宰相への就任を要請したが、箕子は自分の一族を王位から追いやった人物の下で宰相をつとめることを嫌い、五〇〇〇名の臣下を従えて北東に移り、南満州から朝鮮へと走った。荒くれた未開の民の問に居を定めた箕子とその後継者たちは、この地を文明化していった。
 
箕子は、今なお朝鮮で最も優雅な都市と定評のある平壌に首都を置き、先に述べたように自分の国を朝鮮すなわち「朝の爽やかさ」(ほとんどの本に書かれているように「朝の静けさ」ではない)と名づけた。この国の版図は朝鮮北部と満州南部を含んでいたが、朝鮮の中南部にはまだ長いあいだ未開民族が住み着いていたと考えられる。
 
 
 
箕子は長寿を保ったとされる。平壌郊外の丘の上には、静護な林に包まれて彼の墳墓が公開されている。
 
墓は、男かちと想像上の動物を描いた白い砂岩の巨大な彫像で飾られている。アジア史の著作をものしたさるドイツ人は、このモニュメントから強烈な印象を受け、興奮の叫びを上げている。「夢にも似た不思議な忘却の気配が墓を包み込んでいる。しかし彫像からほとばしり出るのは、アッシリアの彫刻を思い起こさせる始原世界の霊妙な力である」と。
 
残念ながら、すべては三〇〇〇年どころか、わずか三〇年前に造られたのに過ぎない。一八八〇年代に朝鮮国王が造らせた空想の産物である。はたして箕子が実在の人物だとしても、そこに埋葬されているかどうか、だれも知らないのだ。箕子の墓の所在地として有名な町は、このほかにまだ三箇所あり、そのうちのひとつは中国にある。だが歴史とは、このようにして作られてゆくものである。
 
箕子の後、朝鮮史には一〇〇〇年の空白がある。朝鮮の史書は四〇代にわたる箕子の後継者たちの生涯と事寮を詳細に記しているが、当時の朝鮮人にはまだ文字を書くことは難しかったはずで、中国の年代記に記録がないところをみると、後世の愛国的な学者の創作と考えてよいだろう。

                          

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