日本リーダーパワー史(115) 陸軍参謀総長・川上操六⑰こそ『帝国陸軍の最大・最後の立役者なり』-
日本リーダーパワー史(115)
陸軍参謀総長・川上操六⑰『帝国陸軍の最大・最後の立役者』
<山県の如き老物に重要なる椅子を渡すべきにあらず』と頑然と総長を固守>
前坂俊之(ジャーナリスト)
鵜崎鷺城『薩の海軍・長の陸軍』(明治44年 政教社)より
西郷南洲の征韓論にやぶれて、廟堂と陸軍大将の冠を挫けて故山に隠棲した際、薩州出身の武人ほとんどが西郷と進退を共にした。
薩摩が陸軍において勢を失ふべき運命はこの時にきまった。然れども大山巌、野津道貫、高島輌之助、黒田清隆、川上操六等ありて漸く長に桔抗し、明治十八年内閣制度実施より日清戦争後の三四年間に至るまで陸軍大臣の椅子は薩人によって独占せられ山県といえどもこれを如何ともできなかった。

ところが、これを前にしては黒田、川上、大寺安純等が相次いで逝き、このあとには野津を失ひ、高島は失脚して枢密院に葬らると共に陸軍より全然その存在を忘れらた。薩の陸軍の勢力は歳と共に衰退し、山県の第二次内閣より陸軍の実権はすべて長に帰して薩人は長人に仰ぐようになった。
薩の陸軍に取って最も大なる打撃は黒田、野津、高島よりも川上操六の死であった。川上は薩摩陸軍の重鎮たるのみならず、帝国陸軍最大の立役者であった。
参謀本部の設置に関しては山県の力が大きいが、これを今日の如く完全なる作戦計室の府にしたのは川上で、日清戦争の根本計画は殆んど彼の頭脳より出でたものだ。川上は当時すでに日露戦争が必ず近き将来にあることを予測して自ら満州・シベリアを視察した結果、病を得て帰国した。
ああ『川上あらしめば』とは・・・
ああ『川上あらしめば』とは天下、彼を知ると知らざるとを問はず均しく発する嘆声で、天のこの偉材を日露戦前に奪い、彼の智嚢を傾倒するのを不可能にした。実に帝国陸軍のために惜しむべきとなり。当時、さすがの伊藤も嘆声を発した。
「天下のことで、わしの殆んど意の如くならざるものなし。然れども隅田川の水と川上とは乃公の自由にならず」と。
山県とその与党は川上が薩閥の一後進を以て陸軍の首脳たる参謀本部により、あたかも長のために隠然一敵国をなす観があるのを見てこれを喜ばず。
しかし、山県は陸軍大輔たりし頃より薩の勢力を殺ぎて、陸軍の長の権下に置く意図を有し、その徴兵制実施に際しても排薩の密計を回らせた。これによって参謀本部を乗取り、長の勢力を擁護せんと機会のくるのを待った。
ちょうど参謀総長・小松宮殿下の逝去に際して、山県は自ら総長たらんと欲したが、事成らずして川上は次長より総長に進み、その後も自ら川上と変わる陰謀をあれこれと巡らせていた。
名敏なる川上はその山県一派の密謀を観破して、来るべき第二の日露大戦は自ら計画する考えで、山県の如き老物にこの重要なる椅子を渡すべきにあらずと頑然としてその参謀総長の位置を固守した。
鳴呼、一葉落ちて天下の秋を知る。
川上の死は陸軍における地図を一変した。しかし、山県一派の恐れたのは川上ただ一人にして、他は自家の薬籠中にするのは簡単だと思っていた。

薩長互角の勢いを有する時にあたり、大山巌は薩の陸軍を代表してあたも山県の長におけるとその位置を同じだったが、彼は過去の陸軍を飾る一骨董品に過ぎず、現実に活動すべき人物にではなかった。
その茫洋として捕捉すべからざる人格、大量にして清濁併せ呑むの概ある、その円満にして福々しき形貌、これらは確かに将に将たるの器を具ふるに似たるも、軍事的才幹は川上の万分の一をも持っていなかった。
また山県のようにあくまで権勢をつかんで爪牙をとぐという執着心はなく、いわば悪気のなき好々爺にすぎなかった。日露戦争前一たび参謀総長となり更に出でて満州軍総司令官の大任を帯びたれど、その実権は山県、及び児玉源太郎にあって彼は長派のかいらいに過ぎなかった。
彼はわが軍の如何なる件戦計画によってロシアと戦い、又その日の戦争の如何なる地点において聞かるやを知らず、砲撃の突如として起るを聴くや、幕僚を顧みて何のための砲声なるを問うこと一再ならざりき。
かかるはその人物の大なるを示すとせんも、到底彼の力を以て薩の陸軍を提げて長に封抗するは能はず。山県は元帥府に隠れて依然として陸軍のローマ法皇となっているのに対して、大山派は御相伴に其列に加はり黙々として長派のやりたい放題をただ傍観するのみ。
(中略)
山県の一の子分たる寺内正毅とても近頃は一かどの政治家になりすまして調子に乗れるは如何にも己れを知らざるの甚しきものなり。
故川上操六は独り軍事的才幹の殊絶したるのみならず、政治的頭脳においても、また普通以上にし、もし彼にその意があらば何時にても政務を担当するの機会があったが、文武両道の大義を明かにして、終始武人の本職のみに専念した。
なお、フランス最後の帝政時代に於ける陸軍卿ヴアイランがナポレオン三世に答へて、臣は政治家にあらず故に政略上のかけ引はこれを知らずと雉も、軍人の感情を熟知し軍務に慣熟するの一事においては人後に落ちずと云へるとその機をを一にせずや。
かくてこそ川上の川上たる所以を認められ、又軍人としての長所を発揮したる所以なれ。これを寺内、佐久間、大島等がその最も短所とする政務に携はりて世論を招くに比べれば志の高きを見るべきなり。
政治家としての寺内は国民の感情を解し、世論に追随して立憲の軌道を履むの頭脳と素養とを欠く。彼を以て前世紀の代物と断ずるも敢て酷評にあらざるべし。
関連記事
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(19』『オーストリア・ウイーンぶらり散歩④』『旧市街中心部の歩行者天国を歩き回る』★『旧市街の歴史に彩りを添えるのが観光馬車フィアカー(Fiaker)で1622年以来蹄の音を響かせている。』
2016/05/18 2016/05/26『F国際ビジ …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(90)記事再録/★『地球環境破壊、公害と戦った父・田中正造②ー 「辛酸入佳境」、孤立無援の中で、キリスト教に入信 『谷中村滅亡史』(1907年)の最後の日まで戦った。
2016年1月25日/世界が尊敬した日本人(54)記事再録 月刊「歴史読本」(2 …
-
-
『オンライン/明治維新講義』★『 初代総理大臣で日本最初の英国留学生の伊藤博文による『明治維新を起こした英国密航でロンドン大学の教授の家に下宿したこと』★『 なぜ、ワシは攘夷論から開国論へ転換したのかーロンドンでタイムズ紙で下関戦争が始まると知り『日本が亡びる』と驚いて、帰国してきた経緯を話そう』・・>
2011/07/03   …
-
-
『Z世代のための日本政治史講座㉘」★『 日本議会政治の父・尾崎咢堂の語る<150年かわらぬ日本の弱体内閣制度のバカの壁』★『 明治初年の日本新時代の 当時、参議や各省長官は30代で、西郷隆盛や大久保利通でも40歳前後、5,60代の者など全くいなかった』
2022/09/27   …
-
-
世界/日本リーダーパワー史(920)米朝首脳会談開催(6/12)―「結局、完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)は先延ばしとなりそう』★『米朝会談の勝者は金正恩委員長か!』(下)
結局、一番問題の非核化(CVID)についてはどうなったのか。 前坂俊之(静岡県立 …
-
-
日本メルトダウン(996)ー『プーチン大統領12/15来日』●『安倍総理の「歴史に名を残したい!という功名心、前のめり姿勢がロシア側に見透かされている』(江田憲司)★『対露経済協力に前のめりになる安倍首相の突出が目立った。 安倍首相が対露経済協力相を新設し、世耕弘成経済産業相に兼務させたことも異例だ』
日本メルトダウン(996) 北方領土交渉。ロシアの腹芸にだまされた?・・・ …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(48)記事再録/『明治天皇のリーダーシップ①』 大津事件で対ロシアの重大危機・国難を未然に防いだ 明治天皇のインテリジェンスとスピーディーな決断力に学ぶ(上)
2011-10-05 /日本リーダーパワー史(196) 前坂 俊之(ジャーナリス …
-
-
世界リーダーパワー史(935)ー『迷走中のトランプ大統領のエアフォースワン』★『米中間選挙の予備選挙は事実上、9月12日に終わったが、情勢はこれまでとは一変して民主党が上、下院を奪還する勢い!(世論調査の結果)』
世界リーダーパワー史(935)ー 中間選挙の情勢はこれまでとは一変して民主党が奪 …
