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人気記事再録/<『クイズ『坂の上の雲』>(資料紹介)レーニンは日露戦争で日本を先進的な若い力と高く評価し、旅順陥落を絶賛した。

   

 

    

 
日露戦争に関するレーニン、スターリンの相反する言説を詳細な論文収集、分析で比較検討した清水威久『ソ連と日露戦争』(原書房、昭和48年)によると、レーニンは日本は帝国主義国家だと規定しているものの、感情的な悪口は一つも言っておらず、日露戦争を日本の侵略戦争とも言っていない。日露戦争と言う二つのブルジョア国家の衝突で、腐敗した旧体制のヨーロッパブルジョア国家を倒した日本の歴史的に進歩的な役割を正しく指摘しているのである。
 
日本に対して《神秘的な、うら若い少年のような》力と称賛し、進歩的、先進的なアジアは、立ち遅れた、反動的なヨーロッパに癒やし難い打撃を加えたと評価している。
また『三国干渉』についても「ロシアを頭目にして、若い日本から勝利の最良の果実を横取りするために団結した。ヨーロッパは幾百年の歳月によって神聖化されたアジア諸民族の搾取にたいする古来の権利を守護していた」と批判し、日本による旅順港の奪還は反動的ヨーロッパ全体に加えられた打撃である、と評価している。
 
ここに紹介する「旅順港の陥落」(一九〇五年一月十四日)の「フペリョード」紙第二号掲載)で旅順要塞の陥落について「ヨーロッパ諸新聞が、全部挙って、難攻不落の折り紙をつけた旅順港、要塞を、ちっぽけな、今まで誰からも馬鹿にされていた日本が、その城砦を八カ月で政略してしまった」と絶賛している。
 
また、戦争は終わった後の、一九〇五年九月執筆の「防禦から攻撃へ」の末尾に「いざ、学ばんかな、日本人に!」 と書いていることであり、さらに、それ以上に興味深いのは革命達成後、一九二一年十月、モスクワ県の党会議でおこなった報告中で乃木大将の旅順港攻略作戦を褒めていることのである。
日本でもいまだに「日露戦争」は侵略戦争か、防衛戦争かの論争が続いているが、以下で、そのレーニンの「旅順港の陥落」(一九〇五年一月十四日)を紹介する。

「旅順港の陥落」(一九〇五年一月十四日)の「フペリョード」紙第二号掲載)
 
 この論文はレーニンがスイスで旅順港の陥落(一月二日)を知り、各国新聞の報道ぶりを注意深く見守り、周到な準備を整えた上で執筆し、10日前に創刊号を出したばかりのボリシェヴィキー派機関紙「フペリョード」の社説として発表した。
日露戦争に関するレーニンの見方を最も鮮烈に表現しているとともに、レーニンの論文中でも最も有名なものの一つであるが、内容が内容なので、革命後のソ連では、レーニン全集への収録(初版は筆者は見たことがないが)は別として、この論文が宣伝されたり、殊更に持ち出されたりしたことは皆無のようである。
なお、この論文の冒頭に引用されている「ヨーロッパの或る有力なブルジョア新聞」の記事というのは、ベルギー紙の一月四日の社説「ポート・アーサー」のことだそうである。
                                               (本文)
ポート・アーサー(旅順港)が降伏した。この出来事は現代史上の最大の出来事の一つである。昨日、文明世界のあらゆる隅々にまで電信で伝えられたこの三語は、圧倒的な印象、甚大な、恐ろしい破局だ、不幸だという、言葉で
表わし難いほどの印象を与えている。
 
強大な帝国の精神的な力が崩れ始め、まだ十分に発達し切れなかった若い民族の威信が薄れ始めつつある。一大政治システムにたいして判決が下され、野望の長い行列が切断され、強大な努力が打ち毀されつつある。もちろん、人々は、ずっと前から既に旅順港の陥落を予見し、ずっと前から既に言葉をごまかしたり、出来合いの文句で自分を慰めたりしていた。
 
だが、身に染みて感じられる、荒々しい事実は、条件つきの虚偽の全部を粉砕しっつある。今や、発生した挫折の意義を弱めることはできない。古い世界が初めて、新しい世界 -いとも神秘的な、見たところうら若い少年のような、きのうようやく文明への仲間入りをしたばかりの1によって加えられた、取り返しのつかない敗北によって恥をかかされたのである。」
 
 これはヨーロッパの或る有力なブルジョア新聞が事件の直接的印象の下に書いたものである。そして、本当の写しろ、同紙は単に全ヨーロッパ・ブルジョアジーの気持ちを浮き彫り的に表現し得ただけではないのである。
同紙の口を借りて、古い世界のブルジョアジー新しいブルジョア世界の成功によって不安に駆られ、長い間ヨーロッパ反動派の最も頼もしい支柱とされていたロシアの軍事力の挫折によって狼狽させられている-の紛う方なき階級的本能が物を言っているのである。
 
戦争に参加していないヨーロッパ・ブルジョアジーまでが、なおかつ、侮辱され、打ちのめされたように感じているのは不思議ではない。同ブルジョアジーはロシアの精神的な力をヨーロッパの憲兵の軍事的な力と同一視することに慣れ切っていた。同ブルジョアジーにとっては、若いロシア民族の威信は、揺ぎなく強力で、現代の《秩序》を堅固に守護しているツァー政権の威信と不可分に結ばれたものであった。
 
支配者であり、号命者であるロシアの破局が全ヨーロッパ・ブルジョアジーに《恐ろしい》ことに思われるのは不思議ではない。この破局は全世界の資本主義的発展の巨大な促進を、歴史の促進を意味するものであり、しかも、ブルジョアジーは、おのれの苦い経験に徹して、そのような促進がプロレタリアートの社会革命の促進であることを、非常によく、余りにもよく知っているのである。
 
西ヨーロッパのブルジョアジーは長い沈滞の雰囲気の中で、《強大な帝国》の巽の下で、いとも安らかに過ごしてきた。そこへ突如として、えたいの知れない、《神秘的な、うら若い少年のような》力(日本のこと)が、その沈滞を打ち破り、それらの支柱を叩き毀し始めたのである。
 然り、ヨーロッパ・ブルジョアジーには驚愕すべきいわれがある。プロレタリアートには喜ぶべきいわれがある。われわれの最も兇悪な敵の破局は、単にロシアの自由の接近だけを意味するのではない。それはヨーロッパ・プロレタリアートの新たな革命的昂揚をも予告するものである。
 
 だが、旅順港の陥落は何が故に、そして如何なる程度に、真に歴史的な破局であるのか
まず第一に目に映るのは戦争の過程の上でのこの出来事の意義である。日本にとっては戦争の主たる目的は達成された。進歩的、先進的なアジアは、立ち遅れた、反動的なヨーロッパに癒やし難い打撃を加えた
 
十年前、この反動的ヨーロッパは、ロシアを頭目にして、若い日本による清国の撃滅にヤキモキし出し、日本から勝利の最良の果実を横取りするために団結した。ヨーロッパは古い世界の既成の諸関係と特権、その世界の優先的権利、幾百年の歳月によって神聖化されたアジア諸民族の搾取にたいする古来の権利を守護していた。日本による旅順港の奪還は反動的ヨーロッパ全体に加えられた打撃である。
 
ロシアは六年の間、旅順港を領有していて、戦略的鉄道に、諸港の構築に、新しい諸市の建設に、要塞の堅固化に、何億また何億ルーブルを投じ、その要塞は、ロシアに買収され、ロシアの前に阿訣追従を事としているヨーロッパ諸新聞が、全部挙って、難攻不落の折り紙をつけたものであった。
 
軍事評論家たちは、旅順港は、その威力において六つのセヴァストーポリに匹敵すると言っていた。それなのに、ちっぽけな、今まで誰からも馬鹿にされていた日本が、その城砦を八カ月で政略してしまった。イギリスとフランスが一緒になって、一つのセヴァストーポリを取るのに九一年もかかったのにだ。
このような深刻な軍事的打撃にもかかわらず、ヨーロッパの新聞中には、ロシアの痛手を軽く見せ掛けようとして、あれこれと理窟をつけているのが少なくないし、事実、戦争はまだ長く統くかも知れないが、それは専制政権下に坤いでいる国民に余計の苦難を及ぼすだけで、所詮、勝利の望みはなく、彼我の戦力からすれば、やがてサガレンはおろか、ウラジオストックまでが危くなるであろう。
だが、専制政権が蒙った軍事的挫折は、われわれの全政治的システムの倒壊の徴候として、さらに一層大きな意義を獲得するのである。戦争が雇い兵たちや、国民から半ば切り離された特殊層の代表者どもによって行なわれていた時代は永遠に帰らぬ過去となった。戦争は今では国民によって行なわれる- この真理が役立つのは習字の手本だけにでないことを、クロバートキンですらが、ネミローヴィチ・ダソチェソコの言う所によれば、今や理解し始めているとのことである。戦争は今では国民によって行なわれ、それ故に現代では戦争の偉大な特性が更に鮮烈にあらわれる。すなわち、これまで極く少数の自覚した人たちにしか見えなかったところの、国民と政府との間の不一致が、何千万の人々の目の前に実際にあばきだされるのである。
 
ロシアの総ての先進的人士たちからの、ロシアの社会民主々義派からの、ロシアのプロレタリアートの側からの専制政権にたいする批判は、今や日本の武器の批判によって裏書きされ、その結果、専制政権の下で生きて行くことの不可能なことが、専制政権が何を意味するかを知らない人たちによってすら、また、それを知り、心の底から専制政権を擁護しようと望んでいるであろう人たちによってすら、ますます強く感じられるようになった。
 
 
人民が、実際に、自分の血をもって専制政権のための尻拭いをさせられるや否や、専制政権が全社会的発展の利益、全人民(役人と大物どもの小さな塊まりを除いた) の利益と相容れないものであることが表面化するにいたった。専制政権は己れの愚かな、犯罪的な植民地主義的冒拳によって、己れを袋小路―そこからの脱出は人民自身にだけにしか、そしてツァリーズムの崩壊という代償をもってしか出来ないところの - に迷い込ませてしまったのである。旅順港の陥落は、戦争の当初から暴露され始めていた、そして今や更に広汎に、更に一層止め度もなく暴露されてゆくであろうツァリーズムの諸犯罪に、最も大きな歴史的総決算の一つをつけさせるものである。
 
 ロシア軍の指揮官どもの無能ぶりは甚だしく、英紙「タイムス」 からも「海陸戦略の初歩的諸原則の犯罪的無視」云々と酷評されており、その他、将校たちの質が低く、農村出身の兵士たちは無知蒙昧で、両者間の信頼感もない等々で、専制ロシアの軍事的威力は幻に過ぎないことがわかった。………
 
 国家の軍事的組織と経済的および文化的全体制との繋がりが現代におけるほど密接なことは、いまだかつてなかった。
 
軍事上の蹉跌は、それ故に深刻な政治的危機の始まりとならざるを得なかった。先進的な国と立ち遅れた国との戦争は、今回もまた、歴史上に既に一再ならずあったと同様に、偉大な革命的役割を演じた。
そして自覚あるプロレタリアートは、あらゆる階級的支配に常に不可避の、排除しがたい同伴者である戦争にたいする容赦ない敵であるとともに、専制政権を撃砕した日本ブルジョアジーによって遂行されつつある、この革命的な任務にたいして目をつぶることはできない。
 
プロレタリアートは、あらゆるブルジョアージとブルジョア制度のあらゆる現われとにたいして敵対的ではあるが、しかし、この敵対性は、ブルジョアジーのなかの歴史的に進歩的な者たちと反動的な者どもとを区別する義務からプロレタリアートを免かれさせるものではない。だから、革命的国際社会民主々義派中の最も一貫的な、決然たる代表者であるフランスのジュール・ダードと英国のハインドマンとが、ロシアの専制政権を叩き潰しっつある日本にたいして、卒直端的に自らの共感を表明したのは十分理解し得ることである。われわれの国-ロシアには、いうまでもなく、この問題においても思想の混乱を露呈した社会主義着たちがいた。  

 
「革命的ロシア」紙はグードとハインドマンに文句をつけ、社会主義者が支持できるのはブルジョア的な日本ではなく、労働者の、人民の日本だけだと声明した。この非難は、例えば保護関税主義のブルジョアジーにくらべ、自由貿易主義のブルジョアジーの方が進歩的であることを認めることにたいして、社会主義者をこきおろそうとするのと全く同様に馬鹿気たことである。
 
ゲードとハインドマンは日本のブルジョアジーと日本帝国主義を擁護したのではなく、だが、二つのブルジョア国家の衝突という問題においては、彼等は一方の国の歴史的に進歩的な役割を正しく指摘したのである。《社会主義的革命家》たちの思想的混乱は、いうまでもなく、わが国の急進的インテリゲンチャが階級的見解と史的唯物論を理解していないことの不可避の帰結なのであった。新「イスクラ」も混乱を露呈せざるを得なかった。同紙は当初は、是が非でもの和平について少なからぬ言辞を弄した。
 
 
次いで同紙は、ジョレスが、あらゆる和平に有利である似而非社会主義的キャンペーンは誰の利益-進歩的ブルジョアジーのか、それとも反動的ブルジョアジーのか - に奉仕しなければならないかを明白に証拠立てるや、《アヤマチを直す》ことに躍起となった。
 
今では同紙は、日本ブルジョアジーの勝利を《当て込む》のは如何に筋違いのことであるかという、および、戦争は、それが専制政権の勝利に終わるか、敗北に終わるかということには《かかわりなしに》災難であるという、下劣な考え方をデッチ上げている。
 
 違う。ロシアの自由と社会主義のためのロシア(および全世界)のプロレタリアートの闘争の事業は、専制政権の軍事的敗北に非常に強いかかわりがあるのだ。その事業はヨーロッパの秩序の守護者どものすべてを恐怖に陥れつつある軍事的挫折によって大いに利するところがあった。
 
革命的プロレタリアートは挨みなく反戦煽動を行ぅべきであり、それに際しては常に、戦争は総じて、階級的支配なるものが存続する限り除去し得ないものであることを念頭に入れておくべきである、ジョレス式の月並な平和談義によっては、被圧迫階級--同階級は二つのブルジョア民族間のブルジョア的戦争には責めを負わず、あらゆるブルジョアジーの打倒のために全力を尽しているもので、《平和》的な資本主義的搾取の時期においても、人民の苦難は限りなく大きいことを知っているのだー一に援助することはできない。だが、自由な競争に反対しながらも、われわれは、それが半奴隷的体制に比較して進歩的であることを忘れてはならない。
 
あらゆる戦争、あらゆるブルジョアジーに反対しながらも、われわれは自分たちの煽動において、奴隷制的専制政権と、進歩的ブルジョアジーとを厳に区別しなければならない。われわれは常に、ロシアの労働者が心ならずもの参加者であった歴史的戦争の偉大な革命的役割を強調しなければいけない。
 
 
 この植民地主義戦争―古いブルジョア世界と新しいブルジョア世界との戦争に転化した -をやり始めたのはロシア国民ではなく、ロシアの専制政権である。ロシア国民ではなくして、専制政権が屈辱的敗北を喫したのである。ロシアの国民は専制政権の敗北によってトクをした。旅順港の降伏はツァリーズム降伏の序曲である。
 
戦争はまだ終わりにはホド遠いが、その継続における一歩々々がロシア国民の問の動揺と憤激を無限に拡大し、新しい偉大な戦争、専制政権にたいする国民の戦争、自由のためのプロレタリアートの戦争の時機を接近させつつある。
それだからこそ、最も冷静沈着なヨーロッパ・ブルジョアジーまでが、かくも、うろたえているのであり、同ブルジョアジーは、ロシア専制政権の自由主義的譲歩にたいして清隆の共感を寄せるであろうが、しかし、同ブルジョアジーが火よりも恐れているのはヨーロッパ革命の序曲としてのロシア革命なのである。
 
 ドイツ・ブルジョアジーの、そのような冷静な諸機関紙中の一つは書いている-「ロシアにおける革命の爆発は全くの不可能事だという見解が牢固に根を下ろしている。この見解は、ありとあらゆる理窟をもって擁護されている。
ロシア農民の腰の重さ、ツァーにたいする誠忠、僧侶への依存性が引き合いに出されている。不平層の中の極端な分子は小さな二握りの者たちに過ぎず、彼等はプッチ(小型の暴動)およびテロ事件を起こすことはできるが、全般的蜂起を呼び起こすことは到底できないとも言われている。不平層の広汎な部分にはーとも、われわれにたいして言っているー組織が、武器が、さらに重要なのはーおのれを投げ出す決意が足りない。
 
ロシアのインテリが革命的な気分でいるのは、大体三十歳かそこらまでのことで、あとは官庁の居心地のよい巣の中で立派に暮しており、熱烈な頭の大半は平凡な役人への転化をおこなっている。だが、今やーと、新聞は統けている-数多くの微侯が大きな変革について証明している。
ロシアの革命については、最早、革命家たちだけではなく、《熱中》なんかには全く縁のないトルべツコイ公のような、秩序の大黒柱たちまでが語っており、公が内務大臣にやった手紙は今や全外国新聞に転載されている。「ロシアにおける革命の危惧は、思うに、実際的根拠を有するものである。
 
たしかに誰一人として、ロシアの農民が熊手を持って起ち上がり、憲法のための闘争に赴こうなどと考えている者はいない。けれども、革命は、一体、農村で行なわれるものか?近代史上では、ずっと前から大都市が革命運動の担当者になっている。しかもロシアでは、ほかならぬ都市において、南から北まで、東から西まで、動揺が起こりつつある。誰一人として、これが何をもって終わるかを予言しょうとはしないが、ロシアにおける革命を不可能視している人々の数は日1日と減少しっつある。
 
これは疑いない事実だ。そして、もし重大な革命的爆発が起こったとしたら、極東における戦争によって弱化された専制政権が、それを収拾し得ることには覚束ないという以上のものがある」。
 然り、専制政権は弱化された。最も不信的な人たちまでが革命を信じ始めつつある。革命が世間一般に信じられていることは既に革命の始まりである。それを続けることには、政府自体がその軍事的暴挙によって尽力しつっある。重大な革命的強襲の支持と拡大についてはロシアのプロレタリアートが配慮するであろう。

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