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日本リーダーパワー史(723)『強中国夢』④(中華思想単独覇権主義の夢)をめざす習近平共産党政権の未来は・『日清戦争の原因は中華思想の傲慢な事大主義』、21世紀のグローバル/デジタル時代に 『中国の夢』(中国一国覇権主義)ははかない幻に 終わるだろう。

      2016/08/02

 日本リーダーパワー史(723)

『強中国夢』④(中華思想単独覇権主義)をめざす

習近平共産党政権は・・

文化的優越感(自文化優越主義、エスノセントイズム)

と西欧列強の植民地にされた敗戦劣等コンプレックス、

その恨みと、復讐心の3重苦に引き裂かれて

、21世紀のグローバル/デジタル時代に

『中国の夢』(中国一国覇権主義)は幻に

終わるだろう。

 ---------------------------

孫文は王道主義としての『中華思想』を次のように説明する。

日本リーダーパワー史(722)『強中国夢』③(中華思想単独覇権主義)をめざす習近平共産党政権はー孫文の「覇道」「王道」 の認識は完全に間違っており、習近平も 同じ誤りの道を暴走している。<孫文「大アジア主義」の演説全文を再録>③

http://www.maesaka-toshiyuki.com/longlife/18773.html

『(古代から1800年当時までの)アジア弱小民族及び弱小国家は中国に対し如何なる態度を執ったか。

当時弱小民族及び弱小国家は何れも中国を宗主国となし、中国に朝貢せんとするものは中国の属藩たらんと欲し、中国に朝貢することを以て光栄とし、朝貢し得ざることを恥辱とした。

当時中国に朝貢した国は、亜細亜各国のみならず、欧洲西方の各国まで、遠路を厭はず、朝貢した。 当時の中国はこれら多数の国家、遠方の民族の朝貢に対し如何なる方法を用ひたか。

陸海軍の覇道を用い彼等の朝貢を強制したであらうか、否、中国は完全に王道を用ゐて彼等を感化した。

彼等は中国に対して徳を感じ、甘んじて其の朝貢を希ったのである。彼等が一度中国の王道の感化を受くるや、二代中国に朝貢したのみならず、子々孫々まで中国に朝貢せんとした。」と中国的建前論(メンツ論―エスノセントイズム)を強調する。これは全く独りよがりの中国流の尊大主義である。

 

では、実際の日本から見た中華思想の実態はどうであったのか。

日本リーダーパワー史(688)『中国行動学のルーツ』ー150年前の明治維新後「日中外交交渉」での異文化コミュニケーションギャップ<中華思想対日本主義=エスノセントイズム(自民族中心主義)のすれ違いが日清戦争に発展した。>

http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/15342.html

 

中華思想のエスノセントイズム

古代支那(中国)で発達した高い文化、宗教、思想、技術は、朝鮮半島を経由して日本に伝えられたことは誰でも知っている。日本にとって、いわば支那は師父の国であり、朝鮮は文化の先輩に当たる。江戸時代に信者が朝鮮を高く評価していたのはそのためである。

その古代支那人の問で芽生えたのが中華思想である。

「中」とは世界の中心、「華」とはずば抜けて高い文化をさす。周辺の文化の低い未閑人を東夷(とうい)、北狄(ほくてき)、西戍(せいじゅう)、南蛮(なんばん)とし、我のみ中華の民なりと自負した。日本はさしずめ東夷 つまり東方の未開人できわめて文化は低とみられていた。

こうした文化的優越感は数千年の年月を経ても、明治時代の支那人(中国人)の間に脈うっていた。

清王朝は満洲人の帝国であるが漢文化に同化し、漢民族の高い文化的衿特をもって欧米人に対していた。

アへン戦争で敗れた清国は条約を結んで外国使臣の北京駐在を認めたが、各国を清国と対等の国として取り扱わず、皇帝に謁見するのに三跪九叩頭(さんき、きゅうこうとう)の礼(三度床にひれ伏し九度床に頭をつける最敬の礼)を各国の外交官にも強いた。

これは清国王に対する臣礼であるから、外交官たちは怒ってこれを拒否したため紛糾が絶えなかった。

1873年(明治6)3月、外務卿・副島種臣は日清修好条約の批准書交換と同治帝に大婚慶祝のため、自ら特命全権大使となり北京に赴いた。批准書の交換も終わり、さて同治帝に謁見し、祝文を奏することになった。

従来の三跪九叩頭の礼を固執する廷臣たちに対して、副島は豊かな漢学の素養をもって、その非を論破し、西欧間の外交慣習について説得したため、頑迷な廷臣たちもついに副島の説に服した。

以来、清国では各国の外交官に対して態度を改め、対等に扱い、各国から副島は感謝された。

といって清国宮廷の上下が日本を対等の国として認めたわけではない。

翌七年、日清修好条約により、柳原前光が駐清国特命公使として北京に赴任したが、清国から日本へは公使を派遣して来なかった。国交が回復して四年目の明治10年末になって、ようやく何如璋(か じょしょう)が初代駐日公使として赴任した。

この間、日清問に種々の問題も発生し、多数の華僑が神戸や横浜に移住していたのに、清国は公使を派遣して来なかった。日本を小国として軽視していた証拠である。以来、明治27年8月(日清戦争勃発)まで約17年間に6人の公使が着任した。

これらの駐日公使はほとんど学者で儒学の素養がふかく、また随員にも沢山の学者、文人がいて、日本の漢学者、漢詩人と親しく交わり尊敬されていた。しかし、第二代公使の黎庶昌の外は、ほとんどが帰国して後、反日、攻日論を唱えている。

清国からみた反日、攻日論の理由はーーー

  • 日本は取るに足らない小さな島国で、人口も少なく体格も劣り、軍備も不充分である。
  • さらに国内は不安定で、議会では政府と民党が激しく抗争をくり返し、政治は混乱して叛乱事件も起きている。
  • 文物制度すべて上国(自国の尊称、清国のこと)の模倣で、いわば文化的従属国にすぎない。
  • 使用する文字はもとより、風俗習慣に至るまで一つとして上国(中国)に起源を有しないものはない。
  • このように数千年来上国(中国)に学びながら、現在の政府に至り急に洋夷(西洋化)の風を尊び中国の恩に背こうとしている。
  • よろしく事に托して師(戦争)を起こし、一挙に征(征服)してその罪を懲すべきである。わがままな子供に罰を与えることは慈父の務めである、

というのである。これらの攻日論、東征論は清国宮廷の上下、一般の風潮であった。

このため、清国は1874年の日本による台湾出兵以来、日本を仮装敵国と認定して、海を隔てた日本に対するには、海軍の増強こそ不可欠であるとして、北洋海軍の強化に着手した。

『李鴻章評伝』(上海古出版社、190-191)『中国の対日政戦略』

(深堀道義著、原書房、1997年、5-7P)には次のように書かれている。

「李鴻章は1987年の日本の台湾侵犯以来、西方各国の中国に対する野心が、更に顕著になったのを認めた。西方各国の侵略は性と成っているが、その国は遠方に在る、然(しか)し、日本は近く、何時でも侵略してくる可能性がある、日本は中国にとっては永遠の患いになると、李鴻章は信じるようになった。

彼は北洋の海防は、日本の朝鮮に対する進出を目標とした。李鴻章の見方は、西方の強国は海軍の強大な実力を持っており、中国がそれに追いつくには長い時間を要する、日本は最近、西方に学んでいるから、日本と競争すれば、容易に比較ができるというものであった。

李鴻章が日本の政策に対抗する中国海軍の創建をおこなったのは大きな歴史的意義がある。(中略)李鴻章が鉄甲艦による強大な海軍を持とうとしたのは、南は西貢(サイゴン)、印度を略し、東は日本・朝鮮に臨もうとしたという観念によるものであったが、その主要目的は防禦にあり、進攻ではなかった」。

この方針によって李鴻章は『威海衛』の軍港を築き、名前の通り「制海権」を握るために築いて、日本をけん制した。ここにドイツで建造した世界新鋭衛の巨大装甲艦『鎮遠』『定遠』(7314トン)を配備して、日本をはじめ遠くの国々ににらみを利かして、威嚇してくるのである。

しかし、当時の日本は『中国文化』を尊敬しており、中国敵視の雰囲気は全くなく、親中派で占められていたことは、のちほどに紹介する。

一方、清国の宮廷、政府が反日に傾斜し、日本敵視したいたことは次の新聞をみてもはっきりわかる。

つづく

 - 健康長寿

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