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高杉晋吾レポート(24)ルポ ダム難民⑧ ダム災害にさいなまれる紀伊半島⑧殿山ダム裁判の巻①

   

高杉晋吾レポート(24)
 
 
ルポ ダム難民 ⑧

ダム災害にさいなまれる紀伊半島⑧
<和歌山県新宮、田辺本宮、古座川、白浜、日高川中津、
日高美浜町の現場ルポ>
 
     高杉晋吾(フリージャーナリスト)
 
殿山ダム裁判の巻①=殿山ダムへの道
 
二津野ダム放水の事態
 
Jパワー2011年(平成23年)9月電源開発株式会社の資料「平成23年 台風12号による新宮川水系北山川および熊野川 当社ダム放流状況」がある。
それによると、今回の豪雨の際、両ダムは洪水に備えた事前放流をせず、水位を維持するため放流量を徐々に増やした。
毎秒1500トン以上の本格的な放流を開始したのは、それぞれ1日午後4時半と2日午前11時50分だった。
二津野ダムがあり、洪水による最大流入量は毎秒8、942㎥である。
最大放流用は過去最大の毎秒8、918トンである。
先にも書いたように、8,918㎥とは、1分あたり約53万5千トンである。1時間あたりにすると3千2百十万5千トン。三十二万トンクラスの超巨大船舶が約100隻、狭い熊野川に殺到したことになる。
この威力をみると巨大なタンクローリーが無残に叩き潰されるのは当然である。0分だった。二津野ダムではその後、放流量が増え続けた。
4日午前4時には毎秒約8900トンに達した。
2日午後9時には二津野ダムから約18キロ下流にある新宮市熊野川町日足(ひたり、田長地区のやや上流)地区で熊野川があふれた。
この時間帯では二津野ダムではおよそ毎秒3000トンを放流し、
9月3日午前1時頃には一基の放流量が増加し毎秒5、500トンを放流し、
同日午後22時からは流入した量をそのまま流し続けた。
9月4日午前4時頃には毎秒8,942トンが流された。その量は史上空前のものであった。
熊野川町で人びとが命がけの脱出劇がおこなわれた上流では、このような放流が電発によって行われていたのだ。
岡本さんの脱出劇は始まったのは
9月3日、日が暮れてから後だ。その頃の日ぐれは午後7時過ぎではないか?その頃二津野ダムでは毎秒6000トン以上を放流していた。
 
 トラック流れ、屋根・家流れ、人は命を求め飛び移る
 
「私らは、このタイヤガーデンの屋根の上に逃げていたんです」。
ちょうどそこに、あの奥田さんのタンクローリーが流されてきた。屋根の上にいたのでは水位が上昇して岡本さんたちは流されてしまう。だからタンクローリーに飛び乗ろう。岡本さんは決心した。
「そしてこの屋根の近くの杉の木が三本あるところにタンクローリーの荷台がひッかかッて止まったんですよ。タンクローリーの後部の梯子が屋根の近くに来たので、私は、梯子のパイプをつかんでタンクローリーに従業員と一緒に飛び移ったんやわ」。
そこに近くの平屋の屋根だけが浮いて流れてきた。この屋根も杉の木に引っ掛かり止まっていた。タンクローリーに乗ったが狭くて丸いタンクの上では不安定で危なっかしい。だから、流れてきた屋根の上の方が安心だ。岡本さんらは再び屋根に飛び移った。
 「やれやれ!これで沈むこともないわ」。
 岡本さんらは屋根の上で『これで一安心だ』と思っていた。ところが上流から別の家が流れてきて岡本さんらがいる屋根に衝突した。この家の方が屋根よりも重量感があり、危険は少ない。岡本さんは屋根から家に移った。
(写真左。命がけの脱走。岡本さん。背後は洪水に潰されたタンクローリー))
 
岡本さんのとっさの判断で何度も水上で移動したが、岡本さんの判断は正しかった。
やがて屋根は流され、タンクローリーも一緒に流され始めた。家もこの流れに乗って移動し始めていた。タンクローリーと屋根は水の中に隠れていた近くの竹藪にひッかかって、ズッシーンと止まった。やがてその屋根はぐらりと転覆して沈んで行った。岡本さんは心臓が止まるような思いで屋根がこの沈んでゆくのを眺め呆然としていた。
「ああ、あの屋根から家に移動して良かった」
そうでなければ屋根ごと岡本さんたちも激流の熊野川に沈んでいたところだった。
★タイヤガーデンの屋根。
★タンクローリーの上。
★流れてきた屋根
★流れてきた家屋。
タンクローリーが流れ、屋根が流れ、家屋が流れる。岡本さんの話はいかにこの水害がすさまじいものであったのかを物語っている。
この流れの中を、何度もくりかえして浮遊物の上を逃げまくって岡本さんたちは自らの命を守った.だがこれは英雄物語でもなければ、奇跡の物語でもない。
岡本さんは洪水の中の命を守る住民の真実をありのままに物語ったのだ。
だが、岡本さんたちは何から脱走し、何ゆえに命の危機の中に身を置いたのであろうか?
激流は自然のものである。
岡本さんは怒りをにじませて言った。
 
ダム水害はヘドロ水害でもある
 
「水害で水に浸かるのはしょうがないと思うんやけど、ダムが有効だというならば二メーターや三メーターは水位の調整出来ると思うんよ。それともう一つ重要なのはヘドロなんよ。今度の水害でうちの自動車の部品はヘドロでみな駄目になったんよ。水に浸かっただけならモーターでも乾燥させればよい。ところがヘドロでは全部だめになるんや。」
タイヤガーデンでも店内にヘドロが溜まって4トン車で20杯くらい出したという。ダムの水が洪水となって引き起こす災害だけが下流の被害ではない。日常的には「膿の色」を下流に排出し、洪水の際には、ダム湖底に溜まったヘドロを一気に排出し、下流に被害を与えるのだ。
『こんなヘドロを海に流すのやからその汚染は大変なものですよ。それに夜中に流す。昼ならまだ逃げることが出来るが、夜中に流すのやからな。ヘドロを夜中に流す。ダムの寿命は延びたやろう。ヘドロを流した量はすごいものやろう。』
岡本さんは8月31日から下痢症状があった。だから31日から飲まず食わずのままに、大洪水に直面し、鼻先も見えない闇の中をタンクローリー、屋根、流失家屋に飛び乗って洪水から逃げまくった。
このようにダム災害は非常に多面的な水害を下流に引き起こす。
だが一気に水位が上昇し、一気に水位が下がるというのは人為的なものだ、ダムの操作によるものだと熊野川町の人々は考えている。
「現地に来ていただいて、災害の生な話を、災害を受けた人から聞いていただくのはありがたい話です』と奥田さんは言う。
私はちじみあがるような思いであった。
「奥田さん、有り難いなんて、それはとんでもない話ですよ」。
大都市の中で新聞やテレビを寝転がってみて、大変だろうな!などと言っていて被害がどんなものかわかったような気になっているのは間違いだということが、みなさんのお話を聞いて初めて少しはわかる。
それでもわかったとは言い切れない。
「都会のダム反対運動が現地の状況をマスコミなどを通じてみてわかったというような態度でいるのは誤りだということが分かりました」
(第三部は田辺市本宮町、新宮のみ。古座川、白浜、日高、等は以下連続、続く)
 
ダム難民(3)殿山ダム裁判の巻
 
殿山ダムへの道
12月15日、午前8時22分快晴。田辺市ステーションホテルを出発。これから日置川のP食糧加工工場に行く。昨日通った42号線を、南紀白浜を右に見て南下し、椿というJR駅付近から目的地田野井に向かう。
田野井は、日置川(ひきがわ)という川の沿岸である。
P工場についた。静かな田園の中にたたずむ従業員数十人と思われる工場である。
来島(仮名)社長は腰を痛めて出てくることが出来ない。来島さんとともに殿山ダム放水を批判している、北川日出夫(仮名)さんがP工場の応接室で対応してくれた。
 
来島さんは73歳、北川さんは68歳。
来島さんは、若い時からこの殿山ダム裁判を一緒に戦うて、おかげで県は今、8億6千七百万円掛けて日置川の治水のために河川改修をやってくれております」
「ああ!和歌山県は河川改修までやっていますか!」
私は新潟県による三条市の河川改修を思い出した。住民の激しく強い要望で、新潟県は、信濃川支流の五十嵐川の河川改修を行った。十分ではないにしてもこの河川改修が功を奏して今次水害での被害はかなり軽減された。ダムよりは森林整備と河川改修に力を注ぐことが住民の命を守る治水政策の要なのである。
 来島んが腰痛で出てくることが出来ないのは残念だが、殿山ダム裁判の原告として大岩さんと肩を並べて戦ってきた北川さんの話を聞くことが出来る。
北川さんは、建築家だ。田野井区の区長をやっていたが今年で終わった。日焼けした端正な顔立ちで、背筋を伸ばし、すっきりした印象を与える。
「水害いうものは人為的なものですな。結論を言えばダムが水害を激化し、人間社会に致命傷を与えています。」
彼は日置川上流の殿山ダムと水害について話し始めた。
「殿山ダムは、日置川上流で三つの川が合流する地点に作られたダムです。三つの川というのは日置川、前野川、将軍川の三つの川です。建設した会社は奥村組と前田建設です。関西電力(株)によって作られた発電専用ダムです、1957(昭和2)から運転を開始しました。それまでも大きな水害がありました。ダムを作る電力会社らは、これで水害が無くなると住民に説明しました
しかし、それはとんでもない嘘で、殿山ダムの発足以来、それは、激しい水害の連続であった。
 

事前放流サボタージュ、翌年たちまち大水害
 
「運転開始の次の年、1958年の台風17号襲来時にダムゲートを全部開放した結果、死傷者23名、家屋流失・全半壊380、田畑全面浸水という大事故が発生したんですわ。」災害は続いた。
「その後は洪水被害を殿山ダムが激化させるという常態やった」
2~3年に一度下流で浸水事故が発生した。
「90年には台風19号、下ダムゲート6門を全門開放して下流に大被害を及ぼし、日置川町民67名が和歌山県と関西電力を相手に損害請求訴訟を提起。その後控訴を繰り返し、2001年1月住民が最高裁へ上告したんです」
1993年(平成5年)7月25日、250名が訴訟を起こした。
「それまで何回水害があったか!
北川さんは全国のダムを歩いて水害とダムの関係を現場の実態、被害住民の声を調べた。
「わたくしは洪水とダムの関係を考えました。日置川の近くに富田川という川が流れています」
富田川は白浜町富田と同じ白浜温泉の間を、分嶺山、上富田町と流れる川だ。日置川からは北西僅か数キロしか離れていない。
「だけど富田川にはダムがないんです。だから水害がない。富田、中、栄、そこらでは水害の無いきれいな富田川のほとりで平和な暮らしをしている。それに比べて日置川町では、毎年、台風と避難の心配をしなければならない」。
これは殿山ダムが台風時にとんでもない放水をするからだ。北川さんは、ダムと水害の関係を知るために全国のダムを見て歩いた。
「沖縄から、屋久島、四国、徳島、長野県の浅川ダム、ありとあらゆるダムの視察に行ってまいりました。それらのダム周辺の人たちの話から、私は、水害は自然が起こすものだが、『ダムは水害を止める』という国や御役所の話は全く嘘で、『ダムは水害を激化する』という確信を得たんですわ」
 
黒部ダムを作る実験のために殿山ダムは造られた
 
この殿山ダムは黒部ダム建設準備のためのモデルプラント,まあいわば黒部ダムを作るための実験実証ダムだった。
「え! 殿山ダムは黒部ダムを作るための実験プラントだったんですか?」
私は初めて聞く殿山ダムと黒部第四ダムとの関係を知ってびっくりした。
殿山ダムは関西電力の発電専用ダムだ。富山の黒四ダム設計の試験ダムということで昭和29年に工事に掛ったという話が北川さんの口から出るまで、私はその事実について全く知らなかった。
発電所が殿山地区になったので殿山ダムといわれるようになった。
「このダムは日本で二番目のドーム型アーチ式ダムです。九州電力の上椎葉ダムが日本初のアーチ式ダム。殿山ダムは関西電力としては初のアーチ式ダムです。これがアーチ式の黒部ダムの実験ダムだったわけです」
 
ダム本体のゲートの正体
 
北川さんは黒部ダムにも関わる殿山ダムの構造について語り始めた。
私は放水の激しさについて言った。
「ダムを作ると、ダムの放水口の高さと、ダム湖の圧力に押されて、放水するときにものすごく強い噴流が下流の河床に叩きつけられますね」。
「そうですね。私は幾つもの洪水とダムを取材してきましたが、三条市、五条市、十津川村、新宮等の取材で、浮かび上がってきたのが、ダムの放水がジェット噴流を作りだし下流の河床に叩きつけられる現象です」
「そうです。だからダム直下の河床が洗堀される訳です。殿山ダムにこれから行かれる。するとわかるのは、ダム本体の上部にはクレストゲートというゲートが六門開けてある。其の下の中腹部にオリフイスゲートという穴を六門開けています。まず洪水があってダム本体を越すとダムが壊れるので、クレストゲートを開ける。それでもどんどん雨が降ると下部のオリフイスゲートを開ける。そういう操作が行われます」。
クレストというのはダムの天頂部のことである。洪水時等でダムの天頂部から洪水が越流するとダムが破壊される。この越流を防ぐためにクレストゲートが開けられる。
オリフイスゲートは、ダム本体の中腹部に設けられた洪水調節用のゲート。
気象情報などで洪水の予想が立てられる場合に、ダム湖の水位をあらかじめ下げて置く場合に、ダム本体のいちばん高いところにあるクレストゲートを開けても、ダム水位がほとんど下がらない。だからより下部のオリフイスゲートを開ける。
殿山ダム訴訟弁護団の林功弁護士は、このゲートについて『国土問題62号』でもう少し具体的に説明している。
ダム本体にはクレストゲートが六門あり、その下部にオリフイスゲートが六門ある。計12門のゲートがある。
私たちが現地に行ってみたとき、このゲートの大規模な取り換え工事を行っていた。
林功弁護士は国土研究」で説明している。
「一門開けると毎秒約500トンが流れ出る」。
単純計算すると、六門開けると3000トン流れる。一分間で一八万トン流れ、一時間で一千八十万トン流れる。例によって巨船に例えると二十二万トンの巨船が約五十隻、猛烈な噴流となって日置川に流れるということになる。
林氏の説明は続く。
「このゲートの内側の二門は開き具合の調節が出来ます。ゲートの開き方を調節して、毎秒二百トンの流量にしようというような事が出来るわけです。しかし外側の四門についてはそういう調節が不可能で、途中で自由な開閉操作は出来ない。操作できる二門も開け始めて開け終わるまでに二十分間は掛り、閉じ始めても二十分間はかかる。
ダムゲートの開閉と簡単に言うが、その開閉にはかなりの時間がかかるというのである。
関電はダム建設にあたって、そういうゲート操作について住民にこう言っていた。
「ダムが出来れば水害は無くなります。ゲート六門のうち三門は予備です。四門以上開ければ,下流に大災害を発生させる。だからそんなに予備のゲートまで空けることはしません、と。しかし::」
ダムが設置された翌年の一九五八年(昭和三十三年)にはたちまち、六門を全開した。
その後はずっと大洪水の連続であった。
 
 
殿山ダム建設は地場主要産業の筏流しを崩壊させた
 
北川さんの説明に戻ろう。
この設計にいたるまで下流住民や下流産業で大問題があった。
「殿山ダム工事が始まった昭和29年当時は日置川町の上流では木材生産が盛んだったですよ」。
木材協同組合は切り出した木材は筏で流している。ダムが出来ると筏流しができなくなる。地元に産業は崩壊する。そこで木材協同組合は、関西電力と交渉を始めた。
「関西電力は、昭和29年初めに丸山次郎さんという人が、急きょ、地元に説明に来られ、『六つのゲートを作る設計は譲れないが、筏流しは、ダムから下流に筏を滑り台のようにスロープ式流路で流す。また経済的な補償をする。地元に必要な道路を付ける』、などというという案をだしたわけですわ」。
結局は、スロープ式筏流しは無くなり、ダムに六つのゲートはつける。木材輸送は田辺市向けのトラック輸送をするためにトンネルを作る、という条件で木材協同組合は六つのゲート案を飲んだ。
木材協同組合も筏流しにも河口までの運搬中の事故で二割くらいの原木がロスになるという弱みがあったのでトンネル輸送案に抗しえなかったのである。
六つのゲートを持った殿山ダムは1957年(昭和32年)に完成した。
「その五月にダムが出来たんですよ。昭和33年8月25日、私はまだ15歳でした」。
さてこのようにして六つのゲート(クレストゲート、オリフイスゲート)を持った殿山ダムは出発した。
 
 
ダムを空っぽにするのはダム管理者の恐怖
 
ダム操業開始後、こんな問題があった。地元は「洪水前にはダムに水を溜めこまないで、あけて置くように」という強い要望を関西電力に出していた。ところが1957年の天候は皮肉なものであった。
「昭和32年(1957年)に夏から秋に掛けて、殿山ダム担当者が、台風が来て洪水に
という予測でダムを空っぽにした。ところが、結局は雨が降らなかった。ダムを空っぽにする、という下流住民のための案を実行したら空振りに終わったんです。」
そういう事態だったから下流住民の被害はなかった。しかし電力資源である水を大量に放流したという損失は大きい。そのために殿山ダム担当責任者はひどい叱責を受けた。したがって、その後は「勝手に水を放流するな」という命令が出された。
北川さんは、今は亡くなった森林組合の役員から聞いた話として次のように語った。
「ダムの水を1センチ減らすと100万円の損害になる。それであくる年から予備放流を怠るようになったという話でした」
余談になるが、現在では「事前放流に伴って受けた損失についての補償」という考え方があり、ダム職員が事前放水しようとしてもそれが出来ないようにがんじがらめに縛られている。異様に厳格な条件が付けられている。其の条件とは、『事前放水をした後に、流しただけの水をダムに戻しておくこと』『それが事前放水の条件であり、それが出来ないならば、事前放水をしてはならない』とういうのである。
 
つまり、電力会社や、ダムによる利水を受ける権利者に対して放流した水位が回復しなかった場合『損失補償をする』という考え方が国交省河川局河川環境課等によってまとめられている。
だから、事前放流する場合の考え方は「事前放流は、利水事業者の電力使用等の条件が損なわれるから、使用した利水容量を回復させる、ということが事前放流の前提条件だ。万一回復しない場合は利水事業者に補償する」というのである。
だから住民や我々国民が「下流住民の安全のために事前放流をする」という当たり前のことを考えても、「住民の命が大事だ」と叫んでも、「電力会社も私企業であり、損失を受けて、はあそうですか?というわけにはいかない」と電力会社や国交省はがんじがらめの縛り上げをしている。
つまり、この縛り上げで国民や住民の『命を守れ』『だから事前放流をしろ』という考え方を否定している。
 
下流住民のために事前放流などするわけがないダム操作システム
 
がんじがらめの事前放流否定システムとは何か?もう一度まとめてみよう。
第一に事前放流をする場合、各ダムごとに事前放流実施要領を作る。
第二に、関係利水者(おもに電力会社)、地方整備局長の承認を得ること。
第三に、事前放流する場合には、関係利水者にあらかじめ承認を得ること。
第四に、放流した水量が回復しなかった場合にはダム管理者が利水者に補償する。
こうした電力会社等の考えを中心に下流住民の安全のための事前放水は電力会社等の利益のためにがんじがらめに縛りあげられ、ちょっとやそっとでは事前放流などは出来ないようになっているのだ。
これではダム管理用制御処理設備を扱ってダム操作をする末端のダム職員が下流住民のために事前放流など出来るわけがない。
ところが、これまた皮肉なことに、こうした電力会社の利益を中心にして事前放流をやらなかった翌年、1958年(昭和33年)、殿山ダムでは大水害が発生した。
1957年の放流による激しい叱責に懲りている殿山ダムでは洪水前の事前放流をせず、洪水のさ中に大放流を行った。殿山ダムでは六門のオリフイスゲートを全開にしたのである。この時、下流では大被害が発生した。
死傷者23人。
家屋流失・全半壊380戸。  
田畑全面浸水。
「この時には毎秒4200トンの水が放流された、と関西電力の報告書は書いています」
毎秒4200トン、 毎分25万2千トン。 毎時間1千5百12万トン。
25万トン級の世界でもトップクラスの巨船が、1時間に60隻分も小さな日置川に押し寄せるのである。
大きな被害が発生するのは当然である。事前放流しなければ、下流は惨憺たる被害をこうむるのである。
北川氏は「ダムが出来てから、被害が数十回生じた、水害が生じるたびに、住民が抗議すると関西電力は以前、『操作規定があり、この規定に基づいて定められた方法で放流している。被害についての責任はない』という態度でした」。
先に書いた新宮市住民の死や財産喪失に対しても、同じ冷酷きわまる対応なのである。「規則通りにやっているのだから、住民が死んでも、財産が失われても電力会社に責任はない」という態度は、電源開発も関西電力も同じだ。
「最近になって住民の批判が鋭くなって、関西電力は若干態度を改めて、和歌山県と協議して治水に役立つように、事前に放水を行うように協定を結ぶ方向に姿勢を改めています」
だが、裁判所も、事実を調査して判決を下すのではなく、完全に、大企業や行政の立場しか耳をかさずに住民原告の全面敗訴を言い渡していた。
消防団も、河川での漁を行っている人も、ダムの放水で急激に日置川が増水し、避難する暇もなく水害の中を逃げ惑ったという証言を216人が行った。しかし裁判官はこれらの証言を一切無視し住民原告の敗訴を言い渡したのである。
 
                            (つづく)

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Comment

  1. 清水俊幸 より:

     和歌山県 東牟婁郡 那智勝浦町 大字下里 小匠防災ダム下流域域在住の平成23年12号豪雨災害時に『非常放流』に見舞われたものですが、3年前にこの記事を読ませて頂いて勉強させてきました、どうもありがとうございます。

     そこから小匠防災ダムの管理者である仁坂知事殿(県ダム行政)と『非常放流』について検証議論をさせて頂いた結果、仁坂知事殿が己の保身のために小匠防災ダム現行運転に存在する簡単に解消できる『大欠陥』を専門知識と巧妙な言葉による山のような『不正』で隠蔽し、未来の豪雨災害時には、簡単に回避できる『非常放流』を実行しようとしていることが判明いたしました。

     とりあえず、提訴して裁判が行われることが決定いたしましたが、手法を間違えた感がいたしますので、結果がどう転ぶかまったく予想がつきませんが、お蔭様で、我々小匠防災ダム下流域住民に死者を出すかも知れない甚大な洪水被害を与える『非常放流』から救われるかも知れません、誠にありがとうございます。

     あと、この甚大な被害を与えるダムの『非常放流』問題の解決策を素人なりにまとめてみましたのでご参考まで。

    ■日本約3,000のダムすべてをフルスペックに! ソフト・ハード両面での洪水調節対応最適化!!!
    http://blog.livedoor.jp/s8753/preview/edit/7c1edd2cc3a1bb284e655b2acf6f490e

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