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片野勧の衝撃レポート(72)★『原発と国家』―封印された核の真実⑨(1970~74) 近未来開く「万博怪獣エキストラ」(上)

      2016/03/22

片野勧の衝撃レポート(72)

★『原発と国家』―封印された核の真実⑨(1970~74)

近未来開く「万博怪獣エキストラ」(上)

 片野勧(ジャーナリスト) 

田中ファミリー企業の「室町産業」が買収

1970年代に入ると、福島第1、高浜、大飯、女川、伊方と原発は次々と着工される。原発建設ラッシュである。同年3月14日、日本初の商業用軽水炉として、日本原子力発電の敦賀1号機が大阪万博開幕に合わせて稼働し、万博会場への送電を開始した。手塚治虫の近未来を切り開く「万博怪獣エキストラ」も登場した。
柏崎刈羽原発。田中角栄元首相の実家からわずか約7.5キロ。車で10分あまりのところにある。福島第1原発のような事故が起これば、風向き次第では住めなくなる距離だ。
1966年、田中のファミリー企業「室町産業」が、のちに原発立地になる土地を買収した。日本海沿いに広がる1千万平方メートルの広大な荒浜砂丘地帯である。そしてその3年後の69年、東京電力が原発建設を発表した。
すると、その土地は71年、東電に転売され、田中は5億円あまりの巨額な利益を得た。当時、田中は自民党幹事長だった。宿敵・福田赳夫と首相レースで熾烈な戦いを繰り返していたが、その土地を転がして得たお金を翌72年、自民党総裁選の選挙資金に利用したと言われている。
むろん、田中は私利私欲だけで動く人間ではない。アメリカからのエネルギー依存体質からの脱却、愛する郷里の活性化、弱者救済……。田中型ヒューマニズムとでもいえようか。

「電源3法」の成立
原発の「安全神話」を信じていた田中は過疎化した地域を潤すために、積極的に原発建設を進めていった。そのために田中は首相在任中の1974年6月3日、「電源3法」を成立させた。
「電源3法」は「電源開発促進税法」「電源開発促進対策特別会計法」「発電用施設周辺地域整備法」を総称するもので、これは立地地域に発電所の利益が十分還元されるようにする制度である。
つまり、原子力施設と地域社会が共存共栄し、国、地方自治体、電気事業者の3者が一体となって取り組み、発電所立地地域の産業基盤や社会基盤の整備を行った。さらに発電所の運転開始後は固定資産税をはじめとする事業税などの税収も入ったのである。
この「電源3法」の成立を境に堰を切ったように官民挙げた建設ラッシュが始まったのである。72年3月末の原発数はわずか4基だった。それが76年3月末に12基、81年には22基に増加した。その後も順調に増え続け現在、54基、総発電量の3割を占めることとなった。福島原発事故はその到達点だった。
まさに、「庶民宰相」田中角栄こそが原発シフトのカギを握っているといっていいだろう。

石油危機とトイレットペーパー騒動

話は72年の夏に遡る。原発の営業運転のカウントダウンが始まると、資源のない日本は右往左往した。燃料のウラン資源の確保が急務になったからだ。そこで、この年の7月、佐藤栄作内閣から政権を継いだ田中角栄内閣は海外からエネルギー資源を買いあさる「資源外交」を展開した。それは同年9月1日、ハワイでのニクソン米大統領との会談から始まった。この会談で田中は濃縮ウランの緊急輸入を約束したのだ。
また70年代はじめ、田中政権を根底から揺さぶる事件が起きた。世界を震撼させた石油危機である。第4次中東戦争の勃発で原油が入ってこない。当時、日本は石油の99%を海外に依存し、そのうち80%は中東から輸入していた。石油危機はモノ不足パニックを引き起こした。その象徴的事件が“トイレットペーパー騒動”である。成長を謳歌していた日本にとって、戦後最大の危機だった。

キッシンジャーと田中会談


 中国訪問の帰途、キッシンジャーは日本に立ち寄った。1973年11月14日――。国家安全保障を担当し、米外交を担っていた彼は、国務長官に就いたばかりで、欧州やアジアを飛び回っていた。消費国を団結させ、アラブに対抗する狙いだった。
田中首相に会い、「いまアメリカは中東和平工作を進めているので、日本がアラブ寄りに外交方針を変えることは控えてほしい。無理をすると日米関係にもヒビが入る」と強調した。
これに対し田中は、日本の中東に対する石油依存度がきわめて高いこと、その石油供給が大きく削減された場合、日本経済は大混乱に陥ることなどを力説した。そして、アメリカが石油の供給を肩代わりしてくれない限り、日本はアラブ寄りにならざるを得ないと訴えたのである(早坂茂三『政治家 田中角栄』中央公論社)。
米国側議事録にはこうある。(以下、『週刊朝日』2012/2・3、「角栄と原発」取材・ジャーナリスト徳本栄一郎氏)
「田中は国務長官に助言を求め、『米国は贅沢な油があるので心配するな』と言って欲しいという。長官は『米国も十分な油はない』としつつ、日本の問題を緩和する方法を話し合いたいと応じた」(73年11月15日、国務省文書)

電力9社が節電呼びかけ
当時、国内の9つの電力会社は年間約5500万キロリットルの燃料を消費していた。

これは原油の総輸入量の2割を占め、備蓄も25日程度しかなかった。真っ青になったのは電力会社9社。緊急社長会を開き、節電や燃料確保を国民に呼びかけた。しかし、焼け石に水だった。
そして彼らは、ある切り札に気づく。原子力発電である。田中首相は国会でこう発言した。73年12月11日――。参議院予算委員会。
「石油問題がここまで来たら原子力問題、原子力発電というものがどんなに必要であるかという必要性に対しては、もうまったく議論がないところに至った訳でございます」
この発言の3日後、科学技術庁は翌年度の原子力関連予算に300億円の追加要求を表明した。12月末には日本原子力産業会議の幹部が官邸を訪れ原発推進を提言した。田中は全面的に同意した。
また原発増設には核燃料も必要だ。1974年9月、田中はブラジルを訪れ、ガイゼル大統領と原子力協力で合意する。11月には豪州でホイットラム首相とウラン安定供給を確認した。

「資源外交」に全力を傾ける
原発推進を約束して研究開発予算を増加する。自ら海外を回ってウラン確保のために、資源外交を展開する。田中は首相在任中、8回の海外出張を行い、延べ20カ国を訪問している。また反対運動は力でねじ伏せ、地元にアメも用意する。まさに「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた田中の“頭脳と行動”にふさわしい。
ここでジャーナリスト徳本栄一郎氏は、一通の英文報告書を取り上げる。日付は1974年9月3日。作成者は米国国防情報局。表紙に「SECRET」(機密)とタイプされた文書のタイトルは「日本と台湾の原子力計画」。両国の原子力発電と核兵器開発を分析した内容である。
「エネルギー需要の多くを海外に依存する日本は原発を急速に推進している」
「当初は米企業から軽水炉を購入したが、今や独自に原子炉の設計・建設能力を開発した。原発立地や核燃料の確保、使用済み燃料の処理に重点を置いている」(前掲『週刊朝日』)
田中は世界第2位の経済大国になったジャパンマネーを武器にアメリカの傘下を離れ、独自に資源供給ルートを確保する。石油ではインドネシアやソ連と交渉し、原子力ではフランス、オーストラリア、カナダ等と独自に手を結ぼうとした。
しかし、田中は体調を極度に崩し、自信を次第に失う。これに追い討ちをかけるように49年10月、月刊雑誌『文藝春秋』が“田中金脈”を特集し、マスコミと与野党から集中砲火を浴びる。

■ロッキード事件と「総理大臣の犯罪」
四面楚歌の中で、田中は体調の悪化に耐え切れず、ついに1974年11月26日、辞意を表明した。そして1976年7月27日、ロッキード事件で逮捕され、「総理大臣の犯罪」として世間から集中攻撃を浴びたのである。第1審、第2審とも有罪になった田中は病床から最高裁に上告したが、脳こうそくの後遺症を引きずり、1993年に死亡した。
田中角栄の失脚は独自の資源外交を展開した報復だったと言われている。また原発の導入を米国製でなく、カナダのキャンドゥ(CANDU)炉を目論んだのもアメリカを刺激したことは想像に難くない。
しかし、ロッキード事件が田中の資源外交とどのようなかかわりがあったのか、私にはそれを確証する材料はない。ただ、ごくわずかではあるが、事件と資源外交との関連を検証する資料はある。
それは月刊雑誌『中央公論』の田原総一朗の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」(昭和51年7月号)および「北京の晴れ舞台で田中角栄は何を見たか」(同年8月号)、高野孟の「ロッキード事件に表れた日米支配層の暗闘」(『月刊社会党』昭和57年12月号)である。
田中の資源外交の背後で国際的な謀略が存在していたかどうか、断定はできないが、これらの3つの資料は謀略があったことを示唆していて興味深い。
いずれにせよ、田中は電源3法交付金制度を創設し、原発立地に国が関与する推進体制を築いた。巨額の税金が立地自治体に流れ込む原発の利益誘導システムは福島第1原発事故後、批判を浴びた。田中政権をきっかけに完成した「国・産業界・学術界」の三位一体は、今に続く原発推進の「原子力ムラ」と重なる。
果たして1970年代以降の原発建設は本当に必要だったのか。

原発の病根知り尽くした元福島県知事
日々、深刻の度合いを深める福島原発事故。今なお、故郷へ帰れない人々が何万人といる。洪水のように溢れかえる情報の中で人は一体、何を信じたらよいのか。原子炉運転停止、プルサーマル凍結、核燃料税をめぐる攻防……。
私は、国が操る「原発全体主義政策」の病根を知り尽くした元福島県知事を郡山市の自宅に訪ねた。佐藤栄(えい)佐久(さく)さん(76)である。以下、佐藤栄佐久『福島原発の真実』(平凡社新書)を参考にさせていただく。
まず、佐藤さんの略歴から――。東京大学法学部を卒業後、日本青年会議所での活動を経て、83年に参議院議員選挙で初当選。87年、大蔵政務次官になる。88年、福島県知事選挙に出馬し、当選を果たす。東京一極集中に異議を唱え、原発問題、道州制などに関して政府の方針と対立、「闘う知事」として名を馳せ、県内で圧倒的支持を得た。第5期18年目の2006年9月、県発注のダム工事をめぐる汚職事件で追及を受け、知事を辞職、その後逮捕される


1審、2審とも有罪判決となったが、「収賄額ゼロ」という前代未聞の認定となった。上告したが、最高裁第一小法廷は2012年10月16日、弁護側、検察側双方の上告を棄却。懲役2年執行猶予4年とした高裁判決が確定した。以上が簡単なプロフィルである。

3・11。午後2時46分、そのとき
年の瀬も迫った2015年12月18日午後2時――。私は前日の17日、東京・立川の自宅から車で南相馬市に入り、そこで1泊。そして翌日、南相馬市を朝早く出発して郡山市へ向かったが、途中、被災地の写真を撮りながら行ったものだから、約束の時間を大幅に遅れてしまった。
まず、そのことを詫びたところ、「やあ、遠いところ、よくいらっしゃいました」。柔らかな物言いと物腰――。国の矛盾を厳しく追求し、権力と闘い続ける、こわもての「県知事像」をイメージしていたが、その不明に恥じ入った。
3・11。午後2時46分。そのとき、佐藤さんは郡山市の自宅にいた。突然、「フゥウッ、フゥウッ」。奇妙な音が鳴る。携帯電話から発する「緊急地震速報」だった。すぐ、突き上げるような縦揺れがやってきた。「庭に出ろ!」。妻と一緒に飛び出した。ふたたび、大きな揺れがやってきた。今度は横揺れだった。一人では立っていられない。妻と抱き合って揺れに耐えた。
家の前の、車のすれ違いもできないような狭い道に人々が飛び出している。「避難所はどこですか」。近所に中学校があり、そこが避難所に指定されているはずだ。そこを教えたが、すぐ戻ってきた。ガラスが割れているので避難を断られたという。「知事なのに、そんなことも知らないで」と悪態をつく人もいた。いまは知事でもないし、知るはずもないのだが……。
夜、テレビにくぎ付けになる。三陸地方に大津波が押し寄せていた。燃える家や車を押し流す映像が流れ、言葉を失った。この晩は郡山市だけでも8000人の市民が学校や体育館に避難し、不安な一夜を過ごすことになる。
朝がやってきた。福島原発はどうなっているのか。報道は「地震で原子炉が停止した」とだけ伝えていた。しかし、実際はこの時、すでにメルトダウン(炉心溶融)は始まっていた。「原発は絶対に大丈夫」と福島県民は長年、言われ続けてきた。元福島県知事として国の原発政策と対峙し続けてきた佐藤さんでも、「原発は安全」と心の奥底では信じていた。
震災翌日の12日午後、福島第1原発1号機建屋で水素爆発、翌13日には3号機建屋でも爆発が起こり、上空にキノコ雲状の煙が噴き上げた。

 - 現代史研究

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