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『リーダーシップの日本近現代史』(184)記事再録/「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』⑰「伊藤博文統監の言動」(小松緑『明治史実外交秘話』昭和2年刊)』★『 「朝鮮に美人が少い理由」は秀吉軍の美人狩りによるものか、 中国『元時代』の美人狩りのせいか、この歴史的論争の結果は?!』★『伊藤博文は具体的な数字と根拠を上げて秀吉の美人狩りを否定した。美人狩りをしたのは中国・元時代のこと』★『韓国・北朝鮮の現在まで続く反日/歴史歪曲偽造/日韓歴史認識ギャップは伊藤のように具体的な事実、数字を挙げて論争する必要がある』★『客観的な物的証拠(データ、資料、科学的、数字的な検証、論理的な推論によるもの)で行うこと』②

   

  /「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』の真実⑰の記事再録

  「伊藤博文統監はどう行動したか」

朝鮮に美人が少い訳

ある晩、村田が、『文禄の役に宇喜多秀家が元帥として京城にいた時、道巡撫の娘をもらって側室にしたという話がありますが、統監も朝鮮美人を御召抱になってはどうです。』

と何気なく戯談を言い出した。伊藤はそれを聞いて、『今日の朝鮮には立派な男は多いが、美人は少いようだ。』

と言いながら丁度そこへ案内されて来た宋秉畯に向って、

『面白い話が出た。どうじゃ、おぬしは朝鮮に美人の少い理由を知っているか。支那(中国)にはいさるなどという絶世の美人が多かったし、今でも舞妓などの中には綺麗なのがいくらもいる。朝鮮では余り美人の話を聞かないし、実物を見たこともない。どうも不思議じゃ。』

伊藤がこんな事を熱心に訊き出したのは、宋秉畯が朝鮮にも美人がいますといって、第二の江原道巡撫の娘でも周旋するに違いないと思ったからであろう。

 朝鮮美人を奪いさる

宋秉畯(そうへいしゅん)の答えは全く意外であった。

『それは御国の人が朝鮮の美人をみんな持って行ってしまったからです。』

『そんな事があるものか。』

『ありますとも。文禄の役で文禄・慶長の役 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9

七年間も朝鮮を荒した揚句に、美人という美人をことごとく日本に連れて行ったのです。今も字喜多秀家の話が出たようですが、平壌にいた小西行長なども、朝鮮人の婦女をその部将に配して永住の覚悟をさせたという記録があるから、その他は推して知るべしです。一

ちょと聞けば如何にももっともらしくも聞える。もしこういう説が拡まれば、韓国人に排日思想を鼓吹するいい口実を与える恐れがある。

伊藤は、宋乗峡を叱り付けるような口調で語り出す。

『一体おぬしは文禄の役にいくら日本人が来たか知っているか。秀吉の部署した人数は十五万八千余人であったが、それは紙上の定数に過ぎない。実際、朝鮮に来たのはその半数位なものじゃろう。

それから、誰でもよく七年七年というけれど、実戦は最初出兵の一年と二度目の一年だけで、その余の五年間は沈惟敬(ちんいけい)と小西との講和談判に費されたのであるから、延べ勘定にしたところで、十五万の人数が二年間朝鮮に往来しただけだ。

それに将軍等は故郷に妻妾を持っていたから、言語風俗の違う朝鮮婦人を日本に伴うはずがない。士卒は婦女を連れて帰る力もなく、またそういう事を上官が許す訳もない。彼等が朝鮮にいる問に婦女を納れて側室とした事は無論あったろうが、君の言うように朝鮮に美人が少くなるほど日本に持って行ったなどとは、荒唐無稽(こうとうむけい)もまた甚だしい。』

こういわれて見ると、さしも剛情な宋秉畯(そうへいしゅん)も閉口せざるを得なかった。しかし彼れはただは負けてはいない。

『閣下はなかなか物知りでいらっしゃる。この宋秉畯も心から感服しました。しかしそれだけではまだ当面の問題が解決せずに残っています。今度は私の方から朝鮮に美人の少い理由を伺い上げます。』

これには伊藤も一寸弱った。伊藤が知っていれば自分から説いて聞かせるに極まっている。それにもとはといえば宋秉畯に美人の周旋でもやらせようという下心から持ち出した話であるから、伊藤は苦い顔をして何も言わずに暫く左右を見回した。

村田も明石も陸軍中将であったが、朝鮮征伐の事情でさえ、今統監の話を聞いてああそういう訳でしたかと感心した位であるから、朝鮮の歴史などを知ろう等がなかった。その他には、天真桜の主人新田又兵衛と二三人の女ばかりだから、問題は判っていても、さて答案を出すほどの人がいなかった。そこで伊藤は著者を顧みて、

『君の博学多才で、これ式の謎が解けないこともあるまい。』と、嘲けるような口ぶりで言いながら、杯を飲み乾して更に女につがせた。伊藤は強いて著者の答えを期待する様子もなかったが、著者が即座に、『承知しています。』と答えたので、一座は俄に緊張味を帯んで来た。

杯を重ねて上機嫌になっていた宋秉畯が、

『なに、承知している? 君- 落話(おとしばなし)をやるのじゃあまいな。』とロを出した。宋秉畯はこの時農商務大臣となっていたが、永く日本に亡命して野田平次郎と自称したほどで、茶目式気分を持っていたし、言葉も日本人と少しも違わなかった。著者が伊藤に向って、『朝鮮から美人を一網打尽にかっさらって行ったのは宋秉畯の言うように日本人でなくて、蒙古族であります。』と言い出すと、宋秉畯がまたもや、『蒙古族は時々朝鮮に襲来したことはあるが、大挙して美人を連れて行った事実はないよ。』とまぜッかえした。

元時代の美人狩り

翌晩、統監に宋秉畯を呼んでもらって著者は大要左の如き史実談を試みた。

始め成吉斯汗(チンギスカン)

チンギス・カン

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3

が蒙古の斡難河の源より起り、南下して支那四百余州を斬り従え、その孫・豪哥(まごまんぐ)(憲宗)に至り朝鮮を征服し、豪哥の同母弟・忽必烈(くぶらい)(世祖)は日本にまでも攻め寄せて来たのであるが、その将士は懸軍万里遠く故郷を去って女性を伴うことができなかったので、上下を通じて婦女の欠乏を感じたのはいうまでもない。

豪哥(まんぐ)が朝鮮を侵した時に、その通過するところの州郡皆、灰じんに帰し、高麗の男女捕虜となりし者二十万六千八百余

人、殺戮さるる者あげて計るべからず(高麗史)というほどであった。

それに飽き足らず、豪哥は高麗王忠烈に命じ宮嬪として処女五十人を献ぜしめ、なお帰付軍五百人の配偶たるべき婦女を徴発した。朝鮮ではこれがために特に結婚都監なる官職を設け、市井の婦女を漁り尽して逆賊の妻や僧侶の隠し女にまでもおよんだ。

なお、寡婦処女考別監(この職名は高麗史に載っているままであるが、東史綱目には、寡婦処女考別監では余り露骨過ぎるというので後に帰附軍行聘別監と改めたとある)と称する職員を諸道に分遣し、地方の配偶者のない婦女を強制的に狩り集めて元に送った。

その時『慟哭声路に満つ』(大声で泣き叫ぶ慟哭の声が道にあふれた)と書いてあるから、これらの不幸な女性は、あだかも人身御供にでも挙げられる心地がして泣き叫んだのであろう。

忽必烈(くぶらい)が元の世祖となるにおよび結婚政策として皇女を忠烈王に降嫁させてから以来、それが代々の定例となった。

この皇女は王妃といわずに公主と尊ばれたが、その毎年本国に入朝する時に、歳十四五歳なる良家の美女を集めて献上するのがまた定例となった。

そういう時には、元の役人が昼夜の別なく良家に踏み込んで美女を捜索した。東国通鑑に『或いは夜間寝室に突入し、奴稗を縛して糺問問し、子女なき家までも驚擾す。怨泣の声巻に適し』とある。

こういう悲惨事が年々続いたが、高麗王忠粛の時になって、典儀副令李穀が元の御史台に奉った上疏中に、真に戦慄すべき記事がある。

『高麗の人、女を生む者はこれを秘し、比隣といえども見せしめず。使臣の中国(元)より来る毎に、人々悄然として色を失い、相顧みていわく。何の為に来たるか童女を取るに非ざるか、妻妾を奪うに非ざるかと、軍吏四方に出で家毎に探り戸毎に索め、若し匿す者ああれば災いその隣里におよび、

その親族をも束縛してこれ鞭撻(べんたつ、ムチで打ってこらしめること。)するに至る』といい、『女を集むれば、姸醜(けんしゅう=美醜を別たず使臣先づ喰らう。その慾を飽かしむればまた他に求む。

『一女を取る為めに数百家を閲す』といい、『子女の選に当る者あれば父母家族相娶って哭泣し、日夜声を絶たず。その送りて門外に至るや、或は衣を牽いて号泣し、或は悲痛憤悶の余り井(戸)に投じて死し、或は自から縊死し、或は血に泣いて明を失う(失明する)。かくの如きの類挙げて記すべからず』といい『これがため時人嗣子なき者十の五六』(今の人で子供がない人が10人中五、6人)といっている。

著者はこういう史実を語ったあとで

『この人為淘汰の結果、朝鮮に美人が無くなって、醜婦のみが残されることになったのであろう。明清時代でも、朝鮮に入り込んだ多数の将士が、朝鮮から美人を連れて往った例がいくらもある。従って、朝鮮に美人の少い理由は、宋秉畯のいったように、日本人がそれを引き抜いたのではなく、支那歴代の朝廷が美人を朝鮮から徴発したからだ。』という結論を下した。

この結論は多少、牽制の嫌いはあるが、宋秉畯の妄説を破るには十分の効力があった。

伊藤は朝鮮美人に望みを絶たものと見え、間もなく日本から美人を呼び寄せた。それはお久米の養女久米子という十九の新橋芸者であった。

つづく

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