前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

終戦70年・日本敗戦史(135の続)「国を焦土と化すとも」と国際連盟を脱退する外交大失敗を冒した荒木陸相、森恪、松岡洋右のコンビと新聞の不見識

   

 

 終戦70年・日本敗戦史(135の続)

<世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月24日  前坂俊之 

◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』

<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、

どこに問題があったのか、

500年の世界戦争史の中で考える>⑱

国連盟脱退で「日本は諸外国との間で最も重要な橋を自ら焼き捨すてた」と

グルー米駐日大使は批判した。

 

≪以下は前島省三大阪毎日外信部長、のち立命館大教授「昭和軍閥の時代」(ミネルヴァ書房、1969年刊)から、引用させていただいた。国際連盟脱退のいきさつについて、これほど簡明かつ正確に記述しているものが少ないので転載させていただいた。≫

 

国を焦土と化すとも」ー国際連盟脱退したのは何のため

昭和7(1932)年3月、満州国がその第一歩を踏み出すすこし前から、国際連盟の活動が活発になった。連盟シナ調査委員、イギリスのリット卿が横浜に着いたのは7年2月29日。これを出迎えた作家木村毅は、恐らく大した業績は期待できまいと、『東京日日』に書いたが、リットン卿は4月に満州へ入り、6月に北京へ帰って報告書の作成にとりかかり、9月26日、これを日華両国へ手交した(10月3日公表)。リットンの見解を裏書するかのように、昭和七年六月、特命全権大使として日本へやってきた駐日アメリカ大使グルーも、国務長官宛に極秘の手紙を書いている。

「委員達は一致して日本の満州における行為が二つの虚偽の前提に基づいていることを発見しました。すなわち、①自衛の議論、②満州の自意決定の議論であります。委員会は満州事変の鉄道爆破、それ以後のすべての事件が日本人自身の手によって綿密に計画され、実行されたことを満足のいくまで立証しました。委員会はこのカイライ国家の建設が極東を平和化するどころか、将来、対中国、ソ連戦をひきおこしアルザス・ローレンの場合よりもさらに悪質な領土併合主義の実例となるものと考えます(32年7月16日『滞日十年』上巻)。

知日派の指導者として、一貫して対日宥和外交につとめたグルーも、本心では日本政府のたちの悪い軍国主義的侵略の本質を見抜いている。そしてグルーが見透していたとおり、第六三臨時議会(七年八月二三日~九月五日)では、政友会森恪の満州国承認論に調子を合わせて、外相内田康哉はこういった。

「満州事変というものは、我国の自衛権の発動に基づいたもので、この問題のためには、国を焦土にしても主張を貫徹することにおいて一歩も譲らない決心をもっております」。

満鉄総裁から斎藤内閣の外相に転じたこの熊本生れの外交官は、かつてはパリの不戦条約会議で全権をつとめ、戦争防止のためにすこしは努力したこともあるのに、今はうって変って、目隠しされた馬車馬のように世界の情勢が目に入らない。

内田外交の使徒は、いが粟頭の松岡洋右である。山口県生れの松岡は、アメリカ・オレゴン大学を卒業して外交界に身を投じた、大正20年、退官して政友会代議士に転身、昭和二年、田中義一首相にひきぬかれて満鉄副総裁になった。上海領事官補のとき三井物産支店長山本条太郎に接近し、元三井銀行取締役早川千古郎が総裁のとき満鉄理事になったことをみても、松岡の三井臭は身についている。

9月15日の満州国承認という既成事実をバックにして、2月18日、ジーネーブに入った国連日本代表松岡は、二月三日、理事会で演説し「リットン報告書では満州国が日本人の発意によって建設されたごとく述べておりますが、これは日本を誣(し)いるも甚だしい」と批判した。

もちろん、中国代表顧維均は、こんな弁解に同意しない。討論は続けられ、23日の第二回会議ではこんなやりとりがあった。

松岡-「田中首相の上奏文(いわゆる田中メモランダムのこと)は捏造である。日本は中国の発展は妨害しない」

顧維均-「田中上奏文は捏造でもよい。問題はそれにのべられている根本思想である。それには田中内閣の積極政策が明瞭にあらわれている。あれが偽作ならば、日本人の作ったものだ」。

一二月九日、臨時総会がひらかれた。英・独・仏・伊など老獪な大国は、日本に宥和の手をさしのべようとし、スウェーデン、チェコ、スペイン、アイルランド自由国などは、あくまで連盟の規約を貫らぬくハラであった。

つまり、「日本の行動は合法的な自衛手段とは認められない、満州国建国は自然発生的な運動の結果とはみとめられないと主張する」

  • これに対して、日本代表松岡は、まったく大胆に世界の与論を無視して大見得を切り、軽卒にも連盟脱退をほのめかした。松岡が大胆にふるまったのは、政友会の強硬派のリーダー森恪の後楯を頼みにしていたからである。荒木貞夫陸相-森-松岡らは疑いなくトリオをくんでいたといってもよかろう。

大国イギリスはさすがに老巧で、やんわり下手に出て、日本をおさえようという魂胆であった。かつて1839年から42年にかけておこなった阿片戦争いらい、かずかずの侵略を中国に対しすねにぎずのある身だからある程度、日本の侵略を黙認しようとしたことは事実である。

また日本政府や有識者、ブルジョアジーとしても、全部が、盲減法のはねあがりではないから、渡りに舟山とばかりこれに妥協しようとする素ぶりを示した。

西園寺以下の重臣層はことにそうであった。元老のなかで、最もにらみを利かせている西園寺は、10月、側近の原田熊雄にこう語った。

「以前、ロンドン条約のときも話したことだが、日本は英米と一緒になって采配の柄をふるっいることが、結局、世界的地位を確保する所以である。フランスやイタリアと一緒になって、采配の先にぶらさがっているのでは、どこに日本の世界的に伸展すべき余地があろうか。伊藤博文公はじめ、自分たちは、東洋の盟主たる日本とか、アジア・モンロー主義とかそんな狭い気持ちのものでなく、むしろ、「世界の日本」という点に着眼してきた。東洋の問題にしても、やはり英米と協調してこそ、その間におのずから解決しうるものがある」(『原田日記』(昭和七年一〇月二日)。

 

軍部はもちろん西園寺らの穏健な常識論に耳をかさない。それどころか、「連盟脱退辞せず」(8年1月22日)などと気勢をあげる始末であったが、また脱退論を固めるために、先手をうって、8年1月3日、突如、大勝負に出た。中国人が「天下第一の難関」と唱える山海関を攻めおとし、ついで内蒙古の熱河へも軍隊を送りこんだのである。

二月九日の閣議で、荒木陸相に対して高橋蔵相は、「近頃、日本の外交はまるで陸軍がひきずっているような形で、新聞などはすぐ脱退だ、なんて騒ぎ立て、外交に関してすぐ声明したりなんかするのか」と詰問した。

。荒木-「いや、あれは新聞が出すので、陸軍が宣伝するんじゃぁない」。

高橋-「要するに知らんふりして書かせておくのが怪しからん」。

荒木陸相といえども長老の高橋には勝てず、返事に窮した。

昭和8年(1933)年2月24日の総会で、リットン報告が42対1票(日本のみ)で採択されると、松岡は、彼1流の芝居じみたゼスチャーで退場した。その後はもはや一潟千里だ。

8年2月25日の臨時閣議で国際連盟脱退方針が決定され、ついで三月一〇日には諮詢案が完成した。(この日、陸軍が万里の長城の攻撃をはじめた)

三月一六日、諮詢に関する枢密院の第1回審査委員会が開催され、ついで二七日、内田外相からドラモンド連盟事務総長宛に脱退通知書が送られた。国民に対しては詔書が喚発され、官報に発表された。

大正デモクラシーの音頭取りであった朝日新聞でさえも、軍部の尻馬にのってこんな馬鹿々々しい社説を書いた。

「吾人は今日の日本の脱退が連盟に一大教訓を与え、その世界平和使命遂行についても反省と悔悟の機会の生ぜんことを希望しておかねばならない」。「世人は往々、連盟脱退以後の我が外交を孤立外交と呼ぶものもあるが、これほど甚だしい認識不足はないのである。……ありていにいうと、近年、我外交はあまりに不振であった。今日を機において面目をほどこし、以て大躍進に向うべきにおいては、脱退も始めて意義ありというべきであろう」(8年3月28日)。

さすがにアメリカ大使のグルーはよくみていた。「日本は諸外国との間で最も重要な橋を焼き捨すてる手段に出た。これは日本の穏健分子の根本的敗北と軍部の完全な優越をあらわす」。

これよりすこしさき、日本外交に「まわれ右」の号令をかけ、連盟脱退の最も強力なプロモーターなった政友会森格は、急性肺炎にかかり、昭和7年12月11日鎌倉・海浜ホテルの1室で、謀略政治にとりつかれた47歳の生涯をあっけなく閉じた。

 - 健康長寿

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

「オンライン決定的瞬間講座・日本興亡史」⑭』★『尾崎行雄(96歳)の「昭和国難・長寿突破逆転突破力』★『1942年、東條内閣の翼賛選挙に反対し「不敬罪」で起訴された』★『86歳で不屈の闘志で無罪を勝ちとる』★『敗戦後、86歳で「憲政の神様」として復活、マスコミの寵児に』

  ★「売り家と唐様で書く三代目」で不敬罪で82歳で起訴される。 衆院 …

no image
◎<リバイバル釣り動画記事再録>「鎌倉カヤック釣りバカ日記」(2017/11/10)ーイナダ(35㎝)、シイラ(30-40㎝、30匹)、カワハギ5匹、ソーダカツオ3匹と爆釣

    2017/11/15、記事再録  <201 …

no image
『リーダーシップの日本世界近現代史』(299)★『国家危機管理としての新型コロナウイルス対策、東京オリンピック開催中止問題を考える➂」★『歴史的教訓①ー約100年前の関東大震災直撃の際には「総理大臣」はいなかった』★『昭和史の教訓②国大といえども戦いを好む時は必ず滅び、(令和)天下安しといえども戦を忘るる時は必ず危うし(水野広徳)』』

 2011/04/06 / 日本リーダーパワー史(137)記 …

「Z世代のための日本最強リーダーパワーの勝海舟(75)の研究③』★『勝海舟の西郷隆盛バカ話はメチャおもしろい』★『ガザ戦争(死者3万5千人)フランス革命(約2百万人)、米南北戦争(61万人)と比べて、最も少ない明治維新(約7千人)の立役者は西郷隆盛と敗軍の将・勝海舟』★『明治維新は世界にも例のないほどの「話し合いによる民主的、平和革命」だった』

  現在進行形のイスラエル対ハマスの「ガザ戦争」の死傷者数は5月13日 …

『オンライン現代史講座/2・26事件の原因の1つは東北凶作による女性の身売りが激増』④『売られた娘たち ~東北凶作の中で!』★『東北の農村などでは人身売買の悪徳周旋屋が暗躍した」( 玉の井私娼解放運動に取組んだ南喜一の証言)

       「東北の凶作悲話ー娘の身売二百名」   東北凶作は農民生活をどん底 …

『Z世代のための死生学入門』『中江兆民(53歳)の死に方の美学』★『医者から悪性の食道ガンと宣告され「余命一年半・・」と告げられた兆民いわく』★『一年半、諸君は短促なりといわん。余は極めて悠久なりという。 もし短といわんと欲せば、十年も短なり、五十年も短なり。百年も短なり。 それ生時限りありて、死後限り無し」(『1年半有』)』

     ★『中江兆民(53歳)の遺言』ー「戒名は無用、葬式も無用、灰 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(91)記事再録/★日韓歴史コミュニケーションギャップの研究ー『竹島問題をめぐる』韓国側の不法占拠の抗議資料』★『竹島は日本にいつ返る、寛大ぶってはナメられる』(日本週報1954/2/25)

    2018/08/18/日韓歴史コミュニケー …

『リモートワーク動画/(Kyoto Sightseeing)』★『世界文化遺産・平安神宮へ参拝(3/29)★『明治28年に創建の豪華絢爛の「平安神宮」応天門から本殿に向かう』★『平安神宮神苑」(池泉回遊式の日本庭園・国指定名勝)の蒼龍池を臥龍橋から観賞、桜はまだだが庭園美の傑作』

世界文化遺産・平安神宮へ参拝(3/29)ー明治28年に創建の豪華絢爛の「平安神宮 …

『MF・ワールド・カメラ・ウオッチ(1)』 「フィラデルフィアぶらぶら散歩(5/9-5/13)

『MF・ワールド・カメラ・ウオッチ(1)』 「フィラデルフィアぶらぶら散歩(5/ …

no image
記事再録/日本リーダーパワー史(335)『リーダーをどうやって子供の時から育てるかー福沢諭吉の教えー『英才教育は必要なし』★『勉強、勉強といって、子供が静かにして読書すればこれをほめる者が多いが、私は子供の読書、勉強は反対でこれをとめている。年齢以上に歩いたとか、柔道、体操がよくできたといえば、ホウビを与えてほめる』

    2012/10/22 &nbsp …