『リーダーシップの日本近現代史』(43)記事再録/国難リテラシー⑩最後の首相・鈴木貫太郎の突破力ー『まな板の鯉になれ』★『負けっぷりを良くせよ』
2020/08/16
/日本リーダーパワー史(162)
国難リテラシー⑩最後の首相・鈴木貫太郎の突破力
前坂 俊之(ジャーナリスト)
『第3の敗戦』を前に、立ちすくんでいる菅首相、内閣の面々も、右往左往し何をしていいかわからない政治家、国民も『すべての解決キーワードは歴史にある』との智慧に学び、かつての日本敗戦の瞬間をもう一度、振り返る必要がある。
ここでは、1945年(昭和20)の土壇場に昭和天皇の最後の決断を引き出した鈴木貫太郎を見て行く。もし、8月15日に終戦を決定せず、ずるずると陸軍の本土決戦に引きづられていると、ソ連の参戦で、北海道も場合によっては占領されて、いまだに北朝鮮と韓国のように分断国家が続いていたかもしれない。
今の政治家はこの状態(原発事故の長期化、国家倒産近い、米国の覇権喪失、中国の覇権への移行)の10年、20年先の状況をシュミレーションする想像力と、70年前の状況と比較検証をして、政局のこども遊びではなく、政治的見識で持って行動すべきであろう。ここでは、鈴木貫太郎を見て行く。
鈴木貫太郎―二・二六事件から奇跡的に生き返った総理が日本を救った。
昭和十一(一九三六)年に起きた二・二六事件で鈴木貫太郎侍従長官邸は反乱軍兵士たちの襲撃を受けた。兵士たちは「理由は何だ」と聞く鈴木の胸や心臓付近、頭などに四発の銃弾を浴びせた。「とどめを……」と兵士の一人が叫び銃口を頚部に押しあてたが、「それだけはやめて下さい」と側にいた夫人が毅然として制止した。
指揮していた安藤輝三大尉はその気迫に押され「もはや生き返るまい」と思い中止を指示、血だらけで横たわる鈴木に、全員敬礼して引き上げていった。
かけつけた医師が血糊で転ぶほどの部屋は血の海で、鈴木の心臓は一時止まっていたが、一命だけは奇跡的に取り留めた。夫人の一言によって九死に一生を得たのだが、もしこの時、鈴木が亡くなっておれば、昭和史は全く違ったものになっていたであろう。
なぜなら、それから九年後、この一度死んだ鈴木が大日本帝国の存亡をかけた土壇場に登場するからである。一億日本民族の運命をかけた最後の瞬間をどう処理するか。「戦争継続の玉砕か、終戦か」。昭和二十年四月、終戦内閣を組閣する大役が回ってきた。
「軍人は政治に関与すべからず」が信念の鈴木は、「政治はまったく素人」と当初は断った。しかし、昭和天皇直々に「耳が聞こえなくてもよい。政治に経験がなくてもよいから」と説得されて、七十九歳の老齢で大任を引きうけた。
この時期、「本土決戦」「1億玉砕」で陸軍は火の玉になっており「和平」「終戦」などを口にするものは国賊として殺される状況で、一切タブーであった。鈴木は和平を深く胸中に秘めて、態度には微塵も出さず「国民よ、わが屍を越えて」と訴え、軍を収めることに全力を集中した。
同4月に敵国のルーズベルト米大統領が死去すると、ナチスのヒトラーは激しくの罵る談話を出したのに比べ、鈴木首相は「深い哀悼の意を送る」談話を同盟通信の短波放送を通じて放送し、その武士道精神が米国民を感激させ、ドイツ人の作家トーマス・マンによっても賞賛された。
終戦に反対する約400万人の陸軍の暴発どう抑えるのか。兵を興すはやすく、退くは難しい。ことは勢いによって成り、挫折する。沈静させるも、激烈化させるも人であり、一にそのリーダーシップにかかっている。阿南惟幾(あなみ これちか)陸相率いる陸軍はポツダム宣言受諾には絶対反対し「本土決戦」「徹底抗戦」を譲らず、昭和20(1945)年8月14日、御前会議は3対3で容易に決しなかったが、最後は昭和天皇の聖断によってポツダム宣言の受諾が決定された。
阿南の二人三脚ぶりと、天皇と鈴木の信頼関係が三位一体
阿南陸相は一身を犠牲にすることで軍を抑え込んだが、その阿南が一番、心服していたのが鈴木総理であり、腹芸の鈴木と「一死以テ」応えた阿南の二人三脚ぶりと、天皇と鈴木の信頼関係が三位一体となり、1億玉砕という「日本の悲劇」から救ったのである。
御前会議が終了し十四日午後十一時過ぎ、首相官邸で鈴木首相がほっと一息していると、阿南惟幾陸相がきて、「ご迷惑をおかけしたことをおわびします。私の真意は国体の護持です」とあいさつ。阿南は大臣官舎で15日未明、「一死以て大罪を謝し奉る」との遺書を残して自刃して果てた。
終戦までの嵐の四ヵ月、鈴木首相の態度は悠々迫らず平生と少しも変わらなかった。執務室の机の上には書類は全くなく、ただ一冊「老子」が置かれていた。文書は即時に決済して手許に残さなかった。終戦の問題が起こってからは、さすがに眠れないのか深夜人知れず寝床の上に座って、沈思読書していたという。
鈴木が帰宅した十五日午前四時ごろ、小石川丸山の私邸は兵士ら約百人の暴徒に襲われた。機関銃が乱射され、私邸も焼き打ちされた。車で裏道を通って逃げたため、暴徒とかち合うことなく危機一髪で難を逃れた。
裸一貫、無一文となった鈴木は悪化する治安の中で、暴徒のさらなる襲撃を避けるため住居を三カ月の間に計七度も転々と変えた。
二十年十一月、鈴木の故郷だった千葉県関宿から、町民の強い誘いがあり、帰郷して生活を始めていた。そこに外務大臣となった吉田茂が訪ねてきた。平沼騏一郎枢密院議長が戦犯として逮捕されたため、その後任にとの要請であった。
枢密院は天皇の国務を審議するところであり、憲法改正を論議するのも同院の役目であった。
当時、GHQ は天皇の戦争責任、天皇制の存廃を厳しく問う姿勢をみせており、皇室の危機に対して、鈴木は枢密院議長を引き受けた。今後の政治姿勢について鈴木は「鯉はまな板にのせられてもびくともしない。負けっぶりをよくやってもらいたい」と吉田に注文をつけた。
鈴木は二十一年六月、天皇の身の上に異変がないことを確かめて枢密院議長を辞任した。以後、再び関宿で一切の公職を離れて、たか夫人とともに静かな生活に戻った。昭和23年(1948)4月、80歳で亡くなったが、最期の言葉は「永遠の平和」だった。
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