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片野勧の衝撃レポート(45)太平洋戦争とフクシマ⑱『なぜ悲劇は繰り返されるのかー原発と闘った男たち(上)』

      2015/01/01

 


片野勧の衝撃レポート(45

太平洋戦争とフクシマ⑱

なぜ悲劇は繰り返されるのかー原発と闘った男たち(上)』

 

片野勧(ジャーナリスト)



帰りたいけど、もう帰れない!


 私は福島第1原発の目と鼻の先、約5キロのところで約40年暮らし、原発と闘ってきた男がいると聞いた。元大熊中学校教諭(美術科)の花房高次(たかつぐ)さん(83)だ。彼は今、原発事故に追われて、会津若松市のマンションで妻と2人で暮らしている。


 花房さんの自宅は桜の名所として有名な福島県双葉郡富岡町夜ノ森。原発事故から2年が過ぎた2013年3月、区域再編で並木の一部(南側の約300メートル)は日中だけ歩けるようになったが、9割は今もバリケードの向こう側にある。
 富岡観光協会の資料によると、夜ノ森は明治33年、半谷清寿氏が農村開発の理想に燃えて荒れ野だったこの地を開拓した。その入植記念にと300本の桜を植え、この一帯が桜の名所になる事を夢見た。これが桜並木の始まりだったという。


 実際、私はインターネットの「you tube」で見た。4月中旬の満開時の桜だった。樹齢100年近い2000本あまりのソメイヨシノが咲き乱れ、桜花欄まんの「花のトンネル」を現出していた。夜間はライトアップされて夜桜見物の人たちを楽しませていた。


 「夜の森の桜」と呼ばれ、2・5キロの「花のトンネル」は毎年10万人以上の観光客を集めた。しかし、原発事故で町の全域が立ち入り禁止になった。町民は全国に散り、毎年の桜まつりも途絶えた。
 「帰りたいけど、もう帰れないな!」
 花房さんはこう言って、話し始めた。2013年4月1日――。
 「毎年、夜桜を楽しんでいたのに、見れないなんて、悲しいよ」
 花房さんは、原発の不条理さを改めて噛みしめていた。妻と2人でもう一度見たい、という一縷の望みが消えた。


双葉地方原発反対同盟の結成


 6町2村からなる双葉郡の人口は約7万6千人、うち1万人は原発関連の仕事をしているといわれ、公然と原発反対を唱えにくい“原発城下町”だ。しかし、花房さんは第1原発1号機が稼働した1972年、相双教職員数人と「双葉地方原発反対同盟」の結成に参加した。


 以来、事故が起こるたびに、東京電力に情報公開や安全対策を求めてきた。また高木仁三郎さん(故人)やルポライターの広瀬隆さんらを講師に招いて勉強会を行ってきた。特に高木さんといえば、反原発運動のリーダーとしてあまりにも有名。「原子力資料情報室」を設立し、代表を務めた。


 高木さんは原子力業界から独立し、自由な立場で原子力発電の持続不可能性、プルトニウムの危険性などについて専門家の立場から警告を発し続けてきた。とりわけ、地震の際の原発の危険性を予見し、安全対策の強化を訴えたほか、脱原発を唱えた中心的人物だった。


 高木さんは数々の提言を行ってきた。たとえば、「原発が、地震とともに津波に襲われると、外部からの電力・冷却水の供給が絶たれる」と。また、給水配管の破断、緊急炉心冷却系の破壊、非常用ディーゼル発電機の起動失敗、といった故障が重なれば、メルトダウンから大量の放射能を放出する、等々。
 「高木さんは、これらのことを徹底的に議論し、これからの非常時対策を考えて行くべきだ、と常々、語っておられました。まさに福島原発事故を予感していたと思います」
 こう花房さんは高木さんのことを振り返った。

経済性を優先し、安全性は二の次


 ――ところで、なぜ、反対同盟に参加したのですか。
 「あまりにも事故が多く、原発は危険だと思ったし、勉強会で高木さんから『人間は原発を制御できない』と聞いたからです」
 学習を重ね、放射能の怖さを身に染みて知った、と花房さんは語る。
 福島第1原発の1号機は今では日本で3番目に古い原発だ。最初から事故や故障で運転が止まることが多く、1年のうち半分しか動いていなかったという。これで果たして「安全」といえるのだろうか。経済性を優先し、安全性は二の次。
 その中でも花房さんにとって気になったのが、第1原発3号機のプルサーマル運転問題だった。原発の使用済みウラン燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、ウランと混ぜた燃料(MOX燃料)を使うのがプルサーマル運転だ。


 大震災が起こる前の2010年8月6日、佐藤雄平福島県前知事は福島第1原発でのプルサーマル運転を受け入れた。佐藤栄佐久元知事が国のエネルギー政策に異議を申し立て、白紙撤回を決めてから10年後だった。この日は奇しくも広島に原爆が投下された日だった。

 今回の事故で水素爆発の原因の一つとして使用済み核燃料が注目された。いわば「核の最終ゴミ」。これは使い道のない「死の灰」だ。花房さんらが問題視しているのは、使用済み核燃料の再処理工場が狭い日本にいまだにないこと。おまけに廃棄したあとも厳重に永久的な冷却・循環・監視・管理を必要とする大変な代物であること。
 その使用済み核燃料は年々、増えるばかり。第1原発内の使用済み核燃料は2010年末で1万体を超えた。花房さんは言う。
 「第1原発は“核のトイレ”。そこが震災で破壊された。原子力政策の破綻です。こんなものを子孫に残していいのですかね」

“原発城下町”として潤ったが……


 ――“原発城下町”として大熊町は潤ってきました。その一方、弊害も多くでてきたのでは? と私は問うた。
 「原発が最盛期のころは出稼ぎがなくなりました。大熊町の約2000世帯のうち、1000人は原発で働いていました。東北のチベットと言われた大熊町は確かに豊かになりました。しかし、よそから来た人たちが夜、バーで飲んで暴れたり、また地元の主婦たちも夜の世界に入って行ったりして、町は不良化していきました。家庭崩壊も随分ありましたよ。子供たちの万引きも多くなりました」


 もともと大熊町は産業がなく、みな出稼ぎだった。ところが、原発建設が進んだ70~80年代、町には交付金など数千億円が流れ込み、町全体が原発特需”に沸き返った。喫茶店も居酒屋も下宿屋もできた。
 そんな光景をはた目に見ながら、教員仲間に誘われて「双葉地方原発反対同盟」に参加したのである。放射能の恐ろしさを知れば知るほど、我慢ならなかった。花房さんは言う。
 「強大な権力の前では誰も真実を語れない」


 原発の不条理、理不尽、差別的……。しかし、原発反対同盟は切り崩しにあう。親族が原発の関連会社で働く地元では反対運動も盛り上がらない。子や孫も原発関連の仕事に就いた。反対派は1人消え、2人消えていった。「しかし……」。花房さんは言葉を継いだ。
 「原発がなくなるまで闘います。たとえ、1人になっても……」

漂う白煙の映像に呆然


 あってはならない瞬間だった。2011年3月12日午後3時36分。東京電力福島第1原発の1号機が水素爆発を起こし、建屋は無残に崩れ落ちた。テレビには漂う白煙の映像が流れていた。
 その時――。福島県浪江町内の友人宅に避難していた大和田秀文さん(81)は呆然としていた。彼は40年以上、反原発運動にかかわってきたのに、水素爆発を起こすとは――。「いったい、原発反対は何だったのか」と悔しさがにじんだ。


 白煙の放射性物質は原発賛成派にも反対派にも平等に降り注ぐ――。「しかし……」。私は浪江・小高原発反対運動に携わってこられた大和田さんに、これまでの原発反対運動について話をうかがうために車で福島県に向かった。今年(2014)7月1日――。時計の針は午後1時を少し回っていた。大和田さんは原発事故でふるさとを追われ、喜多方市に避難した後、現在、いわき市で妻・作さん(80)と2人暮らし。


 ――反原発に関わるきっかけは何ですか。
 「昭和31年(1956)に初めて中学の教員として喜多方市に赴任した。この年に出た『第三の火―原子力』(中村誠太郎著)という本を偶然、本屋で手にしたのが始まりだ。『放射能は今の技術でおさえられるか分からない』と書かれていた。衝撃だったね」
 そう言って、お茶を一口すすった。柔らかな物腰と親しみやすい語り口――。「反原発40年」という言葉から、原発の矛盾を厳しく追及し、権力と闘い続ける超硬派の「こわもて」像をイメージしていたが、その不明に恥じ入った。その口々から発せられる言葉からまっすぐな情熱と、誠実な人柄が伝わってくる。


 大和田さんの自宅は東京電力福島第1原発から約8キロの福島県浪江町川添地区(居住制限区域)。放射線量はいまだに庭の地表面で毎時8マイクロシーベルト。単純に計算しても年間約70ミリ、一般の人の許容被ばく線量の70倍にあたるという。
 大和田さんは1961年、福島県会津地方の喜多方市から浜通りの富岡町の中学に転任した。以来、同じ浜通りの故郷、浪江町に住み、54歳で退職するまで浪江や楢葉町(ならはまち)、大熊町で教えた。

片野 勧

1943年、新潟県生まれ。フリージャーナリスト。主な著書に『マスコミ裁判―戦後編』『メディアは日本を救えるか―権力スキャンダルと報道の実態』『捏造報道 言論の犯罪』『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』『日本の空襲』(第二巻、編著)。近刊は『明治お雇い外国人とその弟子たち』(新人物往来社)。

 

                              つづく

 

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