前坂俊之オフィシャルウェブサイト

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映画「東京島」の原作といわれる「アナタハンの女王」(1950年)とはどんな事件だったのか・・

      2015/03/16

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映画「東京島」の原作という「アナタハンの女王」事件とは・・
<孤島アナタハンに君臨した女王・比嘉和子の悲劇>
 
               前坂俊之(ジャーナリスト)
 
 
比嘉和子(1922~1972)沖縄生まれ。本名富里和子。太平洋戦争中に、サイパン島の北方にあるアナタバン島に32人の男性とともに取り残される6年にわたる島の生活で5度も夫をかえ、合わせて12人が亡くなった。帰国後、「アナタハンの女王蜂」として話題を集め、演劇や映画などで大ヒットしたが、のちに傷害事件の被害者に。数奇な運命に弄ばれた。
 
 
運命の島・アナタハンとは・・
 
 1952、53年(昭和二十七、八)にかけて、”アナタハンの女王〟ブームが全国をかけめぐった。
「久しぶり」という代わりに「アナタハン」という言葉が流行した。焦点の女王蜂・比嘉和子(ひか・かずこ)へはジャーナリズムが殺到した。
 太平洋戦争中の南海の孤島アナタハン島で一人の女性と三十二人の兵隊らが置き去りにされ、飢餓と孤独にさいなまれながら、日本の敗戦を知らず六年間もジャングル生活を続けた。その間、一匹の女王蜂をめぐって壮絶なまでの生と性の闘いがくり広げられ、十二人が殺されたり、死んでいったという謎と猟奇に包まれた事件であった。
 戦争と飢餓という極限状況におかれると人間はどこまで非人間的になるか、そんな赤裸々な”実験〟であった。戦争の記憶がまだ生々しい時代だけに、人々に大きなセンセーションを呼んだ。
 舞台となったアナタハン島は、サイパン北方一五〇キロに位置する火山島、東西一〇キロ・南北四キロ・周囲わずか三〇キロの小さな島である。島の中央に楕円形の火山があり、平地はほとんどなく、海岸は断崖絶壁、島一面はすさまじい熱帯ジャングルで、元気なものでも一周するのに三日間もかかった。
 ここで極限のドラマが進行するが、その主人公・比嘉和子(本名・富里和子)は大正十一年(一九二二)に沖縄の農家に生まれた。父母は幼時に亡くなり、十四歳で大阪岸和田の紡績工場の女工になったが長続きせず、沖縄に舞い戻った。
 昭和十三年(一九三八)二月に、サイパン島に出稼ぎに行っていた兄を頼って同島に渡り、その後、隣島のバカン島の食堂で働いていた。ここでコプラ栽培の南洋興産会社で働いていた比嘉正一(当時二十三歳)と結婚した。夫がアナタバン島の同社常務監督に栄転したため、十八年十月に”運命の島“一緒に渡った。
 アナタバン島には同県人で同会社所長の比嘉菊一郎が夫婦で住んでおり、二組の日本人は原住民カナカ族の男女四十五人をコプラ栽培の労働者として使いながら、平和な生活を送っていた。
 しかし、昭和十九年になり、日米の激戦地は太平洋の島々に移り、戦雲は急速に近づきつつあった。
 心配した正一はバカン島にいる実姉を呼び寄せ、一方、菊一郎の妻と子供たちはサイパン島に疎開するため同年六月十一日に船でアナタバン島を発った。これが夫婦にとって最後の別れになろうとは知る由もなかった。
 二日後、同島は初めて米軍のすさまじい空襲を受けた。家や建物はすべて破壊され、残された和子と菊一郎は命からがら、ジャングルへ逃げ込んだ。ちょうど、空襲の時、同島の近くを日本からの食糧補給船団が航行しており、これも米軍機に攻撃されて沈没し、日本兵や船員ら三十一人が海を泳いで同島にたどりついた。もともと、食糧の乏しい同島の人口はこれで何倍にもふくれ上がった。
 
         6年間の惨劇
米軍への恐怖、迫りくる飢餓、望郷の念、極限状態の中で、本能をむき出しにした三十二人の男たちと一匹の女王蜂の死闘が展開されたのである。
 島では南洋興産などでニワトリ二十羽、ブタ四十頭を飼っていたが、わずか三カ月で全員の胃袋におさまってしまった。ネズミが多く、夜寝ていると足や体をかまれるほどだが、このネズミも連中の大好物となった。
 長さ二メートル、胴回り三〇センチという大トカゲも、皮をはいで焼いて食うと大変珍味とわかり、追いかけまわした。コウモリも食欲の対象となるなど、毎日毎日食うための戦争がくり広げられた。食糧のない小さな島では三十三人の集団は生きていけない。
食糧をわずかに確保できる小さな集団に分かれて生活を始めた。
 兵隊たちは木をこすり合わせて火をおこす方法もおぼえたが、カナカ族はヤシの樹液から強い酒を醸造する方法を彼らに教えた。〝トバ酒〟と呼ばれているもので、このアルコールで飢えや将来への不安を一時的に忘れることができた。
 酔っぱらうと、若い男たちの抑圧していた性の本能がわき上がってくる。
 和子と菊一郎は比嘉という同じ姓だが、正式の夫婦でないこともそのうち連中にわかってきた。和子がそのことをみなに吹聴したからである。〝トバ酒〟で酔っぱらい蚊やハエに悩まされる長い夜を過ごしながら、「和子が正式の夫婦でなければ、オレにも権利がある……」とみんなの和子をみる目が変わってきた。
 まして、和子は乳房はまる出しで、腰のまわりにシメ飾りのように木の皮で腰ミノをつけていただけ、男たちも細ヒモで前をおおっているだけであった。イヤでも、和子の豊満な肉体が目につき、男たちの欲望を刺激した。
 男たちの視線が不安になった和子は菊一郎に結婚してくれと頼み込み、一緒になった。しかし、菊一郎は小心な男で、いい寄ってくる男たちを撃退できず見て見ぬふりをした。
 和子自身も〝男好き〟のする天衣無縫な可愛い女性で、母性本能の強いタイプであった。男の求めにも応じ、自らも誘った。これがいっそう男たちの闘争心に油を注いだ。
 
           女王蜂をめぐって次々に殺人事件
 
 昭和二十一年九月、山中で米軍のB29爆撃機の残骸を和子らが発見、みんなに知らせた。この時、中からピストル二丁が発見された。Aが一丁持ち、Aの親友の年少者のBがもう一丁をもらった。
 八カ月後、Aは和子をめぐってケンカしたCをピストルで撃ち殺した。三十二人の男たちは食べもののことや和子をめぐって、ささいなことで口論し、ケンカが絶えなかったが、これが最初の殺人事件となった。
 AとBは和子と比嘉が一緒に住んでいた小屋でしばらくの間、四人で共同生活をしていたが、今度はBがAを射殺した。原因は酔った勢いでAがBに向かって「二、三日のうちにキサマをやっつけてやる」と脅したためであった。
 しばらくして、Bが菊一郎のところにきて、思いつめた表情で切り出した。
 「一生のお願いです。和子さんを私にください。この人がいないと私は生きていけない」
 菊一郎が和子に気持ちを確かめた。「私も好きです。それに、もしあなたが承知しないとあなたも殺されるだろうし、私も・・・」
 和子はBと別の小屋で一緒に住んだ。南洋の灼熱の太陽の下で、生と性の奔放な生活が続いた。
 それから三カ月後、菊一郎が復讐に出た。新婚の小屋を菊一郎が訪ねた時、ピストルは小屋の壁にかけたまま放ってあった。Bと和子は海岸で釣りをしていたが、このピストルをもって菊一郎はBを撃ち殺し、死体を海へ捨てた。
 菊一郎と和子は再び緩りを戻し、二人は口裏を合わせ「Bは釣りをしていて海で溺れ死んだ」とみんなに告げた。しかし、Bと親しく、Bからピストル一丁をもらっていた漁師のDは信じず、溺れたなら水死体は一週間のうちに浮かび上がると海岸で待ち続けた。
 憎悪と猫疑心、復讐心がいく重にも輪になって四人目の殺人事件が起きた。一カ月後、菊一郎が台風でこわれた小屋の屋根を直していた時、Dが下からピストルを発射したのである。
 「菊一郎はバナナを食い過ぎて死んだ」 とDはいい、和子も「悶え死んだ」と説明したが、他の連中は誰も信じなかった。二丁のピストルを手に入れたDは当然、和子も手に入れた。
 戦争は終わっていたが、時々、古くなった弾薬の山を爆破処理するため、サイパンでは戦争が続いていると信じ込んでいた。
生き延びた連中は食糧の確保も軌道に乗り、イモを食べ、魚を釣り、肉を獲るために狩りをし、仲間と食物を交換していた。唯一の気晴らしといえば、仲間とのおしゃべりだが、すぐその話のタネもつき、和子の話題にしぼられた。 「その後、誰か死んだ人はありますかナ」 「あの女悪魔め!」
という悪口やウワサばかりだったが、それにも全員慣れっこになっていた。この間にも、和子をめぐってケンカが何度も起こり、二人が殺された。一年以上も和子と暮らしていたDが昭和二十四年十一月に別の男に突き殺された。七人目の犠牲者だった。殺した男はピストルを持っていかず、和子の手に二丁とも残った。
相次ぐ殺人に年長者の船長のMが全員を呼び集めて会合を開いた。これ以上の仲間の殺し合いを何とか避けるためであった。この話し合いでピストルの没収が決まり、二丁とも海中に捨てられた。もう一つ決まったことは、和子は新しい夫を自分で一人選び出すことであった。彼女の夫になることは〝死の選択〝に通ずるため、誰もがしり込みした。そんな中でEが手を上げた。EこそはDを殺した男であった。和子とEは仲が悪く、一緒になってからも殴り合いの夫婦げんかが絶えなかった。
 
 
和子は1950年に米軍サイパン島軍に救出

 和子はEの暴力に耐えられず、逃げ出し、昭和二十五年六月二十九日、米軍サイパン島司令のジョンソン少佐の捜索船に救助された。
D殺しの犯人がEであることを和子が脱出前にバラしたために、島で裁判が開かれ、Eもその犠牲になった。船長Mも同二十六年一月に血毒で亡くなり、計十二人の犠牲者が出た。残りの連中が全員救助されたのはそれから半年後であった。
結局、六年間に和子は五度夫をかえ、四人が亡くなった。戦争下で生き抜こうとする本能と女性をめぐる性の紺争、男の嫉妬が野獣的に爆発した猟奇的な事件であった。
 和子が米軍に救出され、アナタバン島の詳細が明らかになると、ニュースは全世界に報道され、悲劇のヒロインとして一躍、有名になった。和子は郷里の沖縄に帰ったが、死んだとばかり思っていた最初の夫・比嘉正一は生きて帰国しており、すでに新しい家庭を築いていた。
「アナタバンの女王」「女王蜂」「本能という名の島アナタバン」として話題はふっとうしたが、ジャーナリズムは和子が肉体を武器に男を手玉にとり、殺し合いをさせた感情の女〟〝女王蜂〟のレッテルを貼って非難した。昭和二十七年十一月、和子は「私は女王蜂ではない。アナタバンの真相を知ってほしい」と沖縄から上京した。
記者団の質問には「結婚した相手は四人。わたしが原因で殺されたのは二人だけで、あとは食べ物をめぐってや男同士のけんかやいさかいで亡くなったのです」と答えた。
 
アナタハンブームに、映画、芝居と

 抜け目のない興行主はさっそく、焦点の女和子を引っぼり出して、東京銀座や浅草の劇場などでアナタバン劇を上演、大当たりをとった。
千葉県でロケを行った和子主演の『アナタバンの真相はこれだ』(全七巻)が封切られ、和子はこの映画フィルムを携え、全国の地方巡業にもまわった。米映画で、根岸明美・中山昭二主演の『アナタハン』も上映された。
このころが絶頂で、東京興行では和子は一日二万円、地方興行では五千円から七千円のギャラをもらっていたが、人気は線香花火のようにはかなく消
え去ってしまった。
 興行主に利用するだけ利用され、捨てられた和子は大阪西成区のスタンドで女給として働いていたが、昭和二十九年八月、ここで傷害事件の被害者となり、〝転落の女王〟ぶりが暴露された。
アナタバンの女王の真相は一体何であったのか。和子は幼時から継母に反発して、男兄された比嘉和子弟や友人と一緒にワンパクを発揮したり、九歳の時にハブに頭をかまれた時、自分でカミソリでその部分を切りとり、タバコの葉をぬりつけて治したこともあった。裸のままヤシの木のてっぺんまで登ったというたくましいバイタリティの持ち主で、それに、母性本能の強いタイプであったことが、余計に男を魅きつけた。
 男三十二人対女一人。平和な時代の男女関係の中でも、この大きな落差は性的な極度の緊張関係を生むが、これに戦争中の絶海の孤島で飢えと死への恐怖、明日なき絶望という極限状況を加えた上に、その一人の女に個性の強烈な女性を加えればいったいどうなるか。
 そんな女をめぐる男同士の本能の〝実験〟ドラマでもあった。
      <「世界の魔性のヒロイン」「別冊歴史読本」2001年9月号掲載>
 
 

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